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伊藤詩織の「裸で泳ぐ」➀

 山口氏との裁判に勝ち、いいね裁判でも勝利を収めた伊藤詩織が新しいエッセイを出した。「裸で泳ぐ」という題名である。

 このエッセイでは、BlackBoxでは不明瞭であった部分を補いつつ、奇妙なカタカナ文字と日本語をまじえながら、ジャーナリストらしからぬ文体で思いを書き連ねている。

ブラジリアンバー

 山口氏と出会ったピアノバーが日本でいうキャバクラか否かが話題になったことがあった。ピアノバーというと若干おしゃれな感じがして、レトロなアメリカ映画に出てきそうな情景を想像するが、キャバクラというと若い女性が金のために媚びをうり酒をすすめるやや格の落ちる店を想像してしまう。
 結局山口氏がその時の名刺を発見したことでそこがキャバクラであることが明確になってしまった。

 「裸で泳ぐ」のなかで、彼女は高校時代から規則を破ってブラジリアンバーで働いていたこと、そのために母親に激怒され、縁をきられそうになったこと、バイトのし過ぎで国語の勉強をきちんとしておらず、学校の机が枕に代わりになっていたこと等をカミングアウトしている。後に銀座のクラブでも働いていたという。ただし六本木の話は出てきていない。

 彼女の日本語はジャーナリストとして考えられないほどのレベルで、聞いていて唖然とすることがある。肯定をセイテイと読んだ時には驚いたというよりも哀れに感じた。おそらく日本語の基礎が定着する前に英語圏を主とする多言語に浸り続けたために、日本語も英語も不完全なままに大人になってしまったのだろう。

 伊藤が2015年に提出した履歴書には「英語-ネイティブレベル」と書いてあったそうだが、本書では本人自ら英語は「とうていネイティブレベルではない。」として、知らない単語もたくさんあると書いている。英語は日本人が聞くとこなれた感じに聞こえるが、文字起こししてみると文法などかなりいい加減だとわかる。日常会話なら相手が補って理解してくれるが、会話を仕事とするジャーナリストとしては致命的なのではないだろうか。
 そう思いながら著者の紹介文をよく見ると、ちゃっかり「映像」ジャーナリストと書いてある。映像ジャーナリストなら許されるというわけかと苦笑を禁じえなかった。

バイリンガルの問題

 社会言語学者のエルビン・トリップによればバイリンガルは多重人格であるという。たとえば答える言語によって異なる回答が出てくるというのだ。

1. 自分の将来の夢を巡って家族と揉め事になったら?
(日本語での回答)それは本当に深刻
(英語での回答)私のやりたいことをやるわ
2.今後私がなりうるのは?
(日本語での回答)主婦
(英語での回答)先生
3.あなたが彼女(彼)の本当の友達ならどうすべきか?
(日本語での回答)お互いに助け合うべき
(英語での回答)全く気を遣わずにいられる

 伊藤は「私は同じ人間なのにまるでそこに二人の私が存在するように」と表現している。なる程と思った。

 彼女が英語で相手に発した場面が「BlackBox」でも、この「裸で泳ぐ」でも出てくるが、かなりきつい内容になっている。

 彼女は日本人の彼氏と別れる際に「もう日本語でナイスにいうのも限界だったので」、相手に英語で伝え、席を離れて会計を済ませたという。「ナイスに言う」という言葉を読んだ時にルー大柴と村西AV監督の顔が浮かんで笑った。こういう表現が今の日本人にどういうイメージをもたらすか分からないんだろうなあと思った。
 彼と別れた理由は、彼が事件のことを彼女自身の口から「真実が聞きたい」と言ったことに始まる。彼は疑い始めていた。「詩織はただのプロパガンダとして利用されているのでは?」「慰安婦を支援する人」たちに。彼女は英語でかえして、席を離れ、会計を済ませて出ていった。実は彼はBlackBoxを怖くて読んでおらず、yahooニュースなどで疑いをもっていたようなのだ。

 同棲までに気持ちを打ち明けて話していると思いきや、同棲の5日前になるまで話し合っていなかったのが驚きだった。彼女にとって同棲とはそういうものなのか?

 相手の男性を責めることなどできない。日頃から対話をあきらめないなどといい、彼氏にも「相手に何か引っかかっていることがあったらすぐに聞くべき」と言っておきながら、いざ彼が聞いてきたら、本を読んで自分で調べろはいくらなんでもひどすぎる。

普通がわからない。

 彼女は父親を彼と呼び、両親を彼らと呼ぶ。これを聞くとわれわれは両親とうまく言ってないのか、疎遠なのかと感じてしまう。
 案の定、彼女は両親といろいろともめたらしい。そのなかの一つが献血のエピソードだ。彼女はマラリアにかかったことがある。一度マラリヤにかかっていると献血は一生できないという。しかしもう一つ、献血の際に確認事項された事がある。6か月以内に不特定の異性または新たな異性と接触があったかということだ。これがあると献血ができない。彼女はここにチェックをいれていた。彼女が「この話」をしたときに父親は皿をシンクに向けて投げ、母親は「あなたのことが理解できないし、おかしいと思う。」「普通に考えておかしい。」と言ったという。この話とはどの話なのか?献血ができないとかマラリアにかかったことがあるとかいう話で両親がこのように怒るとは思えない。両親の言葉から察するに、怒ったのは「不特定異性との接触」に関することであろう。詳しいことは書かれていないが、彼女がポリアモリーの広告に出ていたことを考えるとなんとなくどういうことなのか想像はつく。

 両親の言葉、特に「普通」や世間という考え方に反応して、拒否されたと感じたようだ。「私は彼らの顔をみて、しっかりと目を見て話したいのに。」

 だが彼女自身はどうなのか。彼氏との別れの前にきちんと質問に答えただろうか。

you know  what,i've tired everything to make society better by telling my pain and experience,which I wish I never had to share with the world .
And you know the consequennce.I have no time to educate you now ,so you take your own action and do some research.

(この社会をよくしたいと思って、本当は世界の誰とも共有したくなかった自分の痛みや体験を語って、できるだけのことをしてきた。その結果がどんなものだったか、知ってるよね。私にあなたを教育する時間はない。だから自分でアクション起して、調べてみて。)

 この後席を離れて会計をすませたというから「調べてみて」というより、
"自分でしらべなよ"というニュアンスのほうが正確だろう。
 彼は「顔をみて、しっかりと目を見て話したい」と思ったことだろう。


中学の入院

中学の時に突然転倒した病気がなんなのか、BlackBoxでは明らかにされなかった。たびたび起きて、それがきっかけで入院したのだという。急激に血圧が下がる原因不明の疾患のように書かれているが起立性の自律神経調節障害ではないだろうか。

これについては紅而氏のサイトが詳しく分析していた。

思春期女性に起きることのある症状とはいうが、慢性的な寝不足、不規則な生活や偏った食事などがあるとだれにおきてもおかしくない。
鮨屋のトイレで便座から崩れ落ちたのは、もともとそうなりやすい体質をもっていた上に夜間のバイトとフルタイムのインターンを掛け持ちしていたところにチャンポンで酒を飲んだからではないのだろうか。

おやちょっとまて。

「33年間、あのような意識がなくなる体験は、確かにあの夜だけだったのだから」とあとがきにある。
 では中学生の時何度も倒れた時はどうなのだ。卒倒とは突然意識を失って倒れることを意味する。過去に何度もあり入院していたと、同じ本の中に書いているではないか。
 


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