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右腕のきんちゃん

きんちゃんこと藤井勤前副市長が来てくれた
ご縁を頂戴して10年
速水前市長の右腕として、陰に日向に活躍されていた姿は大変印象深い
物事への向き合い方、人となりに影響を受けた一人だ

雲南市は平成17年に6町村が合併し、雲南市となった
全く想像できないが、合併当時、大凡90億円程に増幅した公共事業予算を3〜40億を目処に、縮小経営を成し遂げることが求められたと聞く
聞いてるだけで、どないせーっちゅーねん物語である
三役や職員の人件費カット、公共事業の見直し縮小、市民も一体となった家計やりくり大事件へと勃発したことが想像される

新庁舎をどこに建設するかもモメにモメた
結局、平成26年(合併から10年以内に建設するルール)に滑り込みギリギリで新庁舎は立った
この話一つでも、「藤井勤」と書いて「粘り強し」と読む
と言っていいくらい、大変粘り強く議会での対話に座っていた姿は印象深い
(議会答弁以上に日常の関係者と関係構築において最も尽力されていたのは言うまでもない)

加茂町や大東町などから提案で出てきたエリアに対しては、雲南のメコン川かーーーーいw!という意見が出たと聞く
また、三刀屋町と斐伊川が接する交差点エリアは、嵩上げしないと水没するがなそこーーーーw!みたいな話だったと聞く
スケルトンのエレベーター案には、スカートがめくれて中が見えたらどげするんだーーーー!?wみたいな次元だったと聞く
よって、理屈と感情、もはや途中意味不明な状態だったであろうことが想像できる
この対話のプロセスを、よくぞ10年も続けて着地されたなと
体力、気力、人間力共に敬意を表します

出来上がった庁舎の壁の色は、雲南のソメイヨシノや御衣黄をイメージして微妙にカラーリングが変えてあるので、ぜひご覧ください

それ以外にも、雲南市は自然の豊かさや共存共生のシンボルとして「コウノトリ」のPRに力を入れた
ところが、おじいちゃんが間違えて鉄砲で撃ってもうた事件が勃発
市長や副市長をはじめ、行政のボス達は、おじいちゃんの生活や家族や孫の暮らしを、批判からとにかく守ろうと意思決定し、個人情報が絶対に流れないように、フロントに立ち、ただただメディアに謝罪を発信した
行政の管理責任だと

翌日
おじいちゃんが個人で新聞の取材を受け、「間違えて撃ってしまいました爆」と掲載されるなんてことは、知る由もない
その時も、副市長は「おじいさんたちが大丈夫だったら、それが一番大事だ」とその場を治めて、職務に戻った

また、私も所属している雲南市立病院は、医師34名から激減して17名まで落ち込んだ
そんな驚愕ガクブルの環境から、努力に努力を重ね、経営的にも大逆進
念願叶って新病院を設立するに至った
大きな予算の変遷も裏で支え続けて来た副市長は、新病院オープニング記念の日に、本当にいい顔して立っていた
ところがどっこい、記念すべき「くす玉ターーーーイム」に差し掛かると、
勢い余って、くす玉が天井から落ちたw 
結局、職員がくす玉を手に持ち、背の高さほどの位置でくす玉を割るというシュールな絵面になった
それすら副市長はニコニコにこにこ微笑ましく眺めていた

更には、雲南市が誇るキラーコンテンツ「たたら」事件も思い出深い
渾身の映画「たたら侍」も、製作につなげるまでの外交を担った
噛み合わない標準語と出雲弁のハーモニーを奏でる食事会ではエグザイルをもてなした
市民総出で魂込めて雲南を案内し、たたら侍の製作が完了した
感無量だったに違いない
にもかかわらず、すぐにメイン俳優の逮捕の報道である(もうこの辺から雲南市持ってるわ〜〜〜〜wと個人的に思うようになった)
悲しみにくれる関係者に
「それでも雲南の良さはちゃんと伝わりますよ」と励ましの声をかけていたのが印象的だ

また、忘れられないのは、医療的なケアが必要な子どもの体制づくりに対し「仮に一人だろうが、大切な市民。力を合わせてその子が過ごしやすい環境を作ろうや。きっと他の子どもさんの環境としても、いいことだけんね。」と言って、一緒に関係者に働きかけてくれた
そして、実際に子どもさんの家を訪ねてくれたのだ

市長の右腕として、政策を実行に移すとき
いつでも必ず現場に副市長の姿があった
そして、手柄を自分のものにすることもなく、いいことも悪いことも受け止めて前に進んでいた
この姿は、あぁ、信頼ってこうして心に広がっていくのだな、と思い知らせてくれた

長い間、本当にお疲れ様でした

先日、雲南市内の敬老会で講演会をさせていただいた時、敬老会の皆さんが冒頭にしてくださった挨拶を共有して、感謝で締めくくりたい

「速水市政は地域自主組織や、この若者たちの頑張りを進める幸雲南塾、そしてコミュニティナースなどの暮らしを支える仕組み作りなど、本当によくやってくださいました。感謝申し上げます。」

私も同じ気持ちだった

本当にありがとうございます
ますますのご健勝をお祈り致します



今後はコミュニティナースカンパニーの名誉顧問として今まで以上に宜しくお願いします
※行政で大変ご尽力いただいたお父様方は、退職と同時に本人の意思とは関係なく名誉顧問になっていただだく、というルールを勝手に設けております

元気で長生き!




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