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卒業

卒業を機に、少し自分語りと、これからについて。


思えば早稲田に来たのは割と奇跡だった。そしてここまで早稲田にのめりこむとは当初考えもしなかった。

高校3年当時の自分は明確な志望分野がなく、ざっくりと「人間について知るのは面白そうだな」と思っていた。阪大に人間科学部があるのは知ってたけど到底無理で、神戸の発達科学部か早稲田の人間科学部を目指していた。とは言ってもそこを目指せるほどの頭もなく、早稲田はスポ科がギリギリ、国立大はセンターの数学と理科が足を引っ張って軒並みアウト。しかも早稲田は言うても私立。人間科学部は理系並みに学費が高く、片親の自分にとっては厳しいものがあった。頭もお金もなかった。

でも、指定校の枠があり、ギリギリ先生たちの中で指定校に出してもいいラインをクリアしたおかげで早稲田への切符を手に入れることができた。お金の面は、早稲田の都の西北奨学金のおかげで大幅に減額。それに給付奨学金と第一種の基準も満たした。亡き父が自分のために貯めておいてくれた学資保険と、兄が学費全額免除で進学してくれたおかげで浮いたお金もあって、無事に入学することができた。

こうして振り返ると、運もしかりだが、家族に恵まれているなぁと本当に思う。いつもありがとう。





入学してからは紆余曲折あり、バンカラに入った。あの頃の憧れたバンカラは、多分ずっと頭の中に残るだろうし、ずっと憧れたままなんだろうと思う。

憧れて入ったバンカラは思っていたものとは違い、先輩にキレてしまったり、自分を卑下して、辞めたいと何度も思ったり。それでも団体が好きだった。今思えば、バンカラというハコが好きで、それを壊したくないがためだったのかもしれない。

純粋にパフォを楽しめたのは2年の頃までだったと思う。代表になってからは、1歩離れて見ていた。「環境づくり」をテーマにしていたから、事務を徹底してた。1歩離れてみるのは少し冷めた感じもあるけど、皆が喜ぶのを見て自分も喜べたから、幸せの総和が増えたような感覚だった。とはいえGコンの時に、「あの輪の中に一緒に入りたい」と思ったことも鮮明に覚えている。

引退ブログみたいで書いてて恥ずかしいし老害感があるので終える。





早稲田について話そう。

早稲田生とは言えども、所沢の民である自分にとって早慶戦とか100ハイとか遠い存在だったし、早稲田愛が深いか?と聞かれればそうでもなかったと思う。

間違いなくきっかけはバンカラだったな。バンカラで早慶戦行ったし100ハイも出たし。たくまの影響で早稲田愛が増したのも大いにあると思う。

もっと好きになったのは2年の初夏イベが大きいかも。あのイベントでは多くの早稲田の方々に出演していただいたけれども、まぁどの方々もすごい人達で。特に学注企画なんていうものもやって、あの熱量といったらもう。野上さんの「俺たちはキラ女を発信しているんじゃねえ、ワセジョを発信しているんだ」って言葉は今でも覚えてる。あのイベント自体の自分の成果は大したものではなかったし、それをこじらせて打ち上げの場で泣く失態犯したり。あの時大野さんに慰めてもらって、仲良くさせていただけるようになったんだよなぁ。

あと、18隈ステ決起も大きかった。ちょうど同じ卓に18の男祭りの方々がいて、それが本当に大きかった。大野さんや辰巳さんに「来年はお前だな」って言ってもらったのは今でも覚えてる。本当に嬉しかったんだよあれ。結果本当にやっちゃいましたよ。



代表なってから団体の顔ということを意識し始めたのもあって、色んなところに出かけて、色んな人と話した。代表なってからより好きが加速した感じはある。

結局思い出語りにはなってしまったけど、早稲田の何が好きって、情熱溢れる人たちがそれぞれのステージで本気で頑張っていること。それで、お互いを高め合っていること。シンプルに人もいい。

月並みな表現になってしまうのが嫌だ。

なんかこう、心理的安全性というか。自分のやっていることを素直に言える環境っていうのは大きかった。というよりも、自分より遥かに突き抜けたことをやっている人(それがサークルとかクリエイティブのようなことでも、大阪まで歩いたり学会食いまくったりするバカでも)がいるから、自分も「やっていいんだ」となれたんだと思う。

先例がないと動けないとはよくいうものの、その先例が多方面にいてくれたことって貴重な環境なんだなと改めて思う。

早稲田は人情溢れる人が多かったと思う。酒飲んで語らって泣いて笑ってくれる人が周りにいた。


自分はよく泣いた。バンカラでは本当に泣いた。その分曝け出せた。受け止めてくれる人がいた。信じることができた。


また変にエモく締め括ろうとしてしまうので回避する。




いい加減書き残したかったことに移る。これを残したくて久々にnoteに手をつけた。



大学4年半。色んなことをしてきた。

さっきの文章でもいくつか挙げたけど、結構印象深い言葉だったり、何をしてくれたかとかって覚えているもん。

その中で、自分が「与えられた」側にいることもそうだけど、「与えた側」にもいたことはちょこちょこあって。

なんだかまどろっこしいけど、「お前の生き様が好き」とか、「お前からいつも刺激をもらっていた」とか、「お前の撮る写真は感情を収めていて好き」とか、「実はお前のあの言葉が今でも残っている」とか。

その言葉だけで頑張れるんですよ。

その言葉を言ってくれた人たちのためにも、その人たちに顔向けできるようにも、その人たちをガッカリさせないためにも、まだまだ負けられんのですよ。なんか日々に退屈したりとか、燃えてないと感じる時があったりとか、閉塞感に埋もれていたりとか、それでクソみたいな自分がいる時に、その人たちの言葉を思い出すわけで。

別に思ったことを伝える必要はなくて。むしろ思ったことを伝えないことの方が人間多いと思っていて。特に照れ恥ずかしいことなんて。

そんなことをわざわざ言ってくれるってエネルギーがいることなのに。だから本当に本当に嬉しいんですよ。引退から約2年が経つ今だって、その言葉を明確に思い出せるわけで。あなたが言ってくれたその言葉が、支えとなってくれている。


だから、言霊って本当に力があるんだなと、卒業前夜に思っているわけです。これが一番言いたかったこと。



早稲田に来て、多くのことを経験してきたけど。

やっぱり好きだなあ。





集まり参じて人は変われど、仰ぐは同じき理想の光




本当にありがとうございました。酸いも甘いも知った早稲田を卒業して、次のステージへ向かいます。







































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