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天才の在り方
先日電車に乗っていたのだが、その際大学生らしき男子二人組の会話が耳に入ってきた。
「〜だからさ、やっぱ俺って天才なんだよねwwwそんでぇ___」
「俺って《天才》なんだよね」。この発言の前後にある論理文脈を度外視して考えると、なかなか攻めた発言で場合によっちゃ自惚れとも捉えられかねない好戦的な物言いだと感じたわけだが。
その「天才」という抽象的でどことなく惹かれてしまう言葉を、言葉遊びも兼ねて解釈を巡らせていた。
その時に小さな発見を得たので、本記事ではその発見をより色濃く自分の中に落とし込むために書いていく。
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「俺って天才だよね」とは「天才」という肩書きを、その言葉の冗談さや本気さを抜きにして「自称」していることになる。
自分自身で自分を天才と呼称することは、「天才」なのではなく「自称天才」だ。
誰だって刹那的に自己陶酔に陥ることはある。ふとアイデアが浮かんだり、問題に対して突破口を見出した時「うわ、俺(私)って天才やんw」最上級の褒め言葉で自分自身を脊髄反射で讃える瞬間、誰にだってある。
こういうナルシズムは時折、漏れ出る傲慢さから周りに不快感を与えかねない反面、何か挑戦したり問題を解決しようとする際、背中を後押ししてくれるドーピング剤になりうる。
「おっ、プロ奢ラレヤーて活動やってみたら上手くいきそうじゃね?俺って天才♪」
その自称天才さを裏付ける動機が正しいか正しくないかなんて、行動してみないと分かんないわけだからね。プロ奢だってナルシストじゃないとここまでこれてないよ、天才は例外なく深層心理で自惚れている。
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何が言いたいのかというと、
「天才」に限らず、「イケメン」とか「賢い」とか「ブサイク」とか「バカ」とか、そういう良くも悪くも万物を形容した言葉って、解釈を相手に委ねるべきものだと思うんだ。
「天才」という言葉に初めて価値が宿るのは「他称天才」の場合に限るような気がしてならない、というお話。
「うわ...マジでプロ奢って天才だ...マジでやってらんねぇ...かっけぇ...」
相手が自己嫌悪に陥るくらい、圧倒的オーラがあって、禍々しくて、尊い。それがホンモノの天才ってヤツで、口先だけの自称天才では一生届きえない他称天才の域ってわけだ。
あなたが自分で自分を天才だと自称したところで「うわ...マジでお前って天才だ...マジでやってらんねぇ...かっけぇ...」能動的にそんな関心を寄せる都合の良い奴なんて、この世にいねぇぞ?その場限りの気持ちよさ目的でニセモノの天才を名乗るのは、辞めた方がいいんじゃね?
天才と思われたいなら、誰かがあなたを天才だと認識するまで、静かに頑張るしかない。
持ち合わせている天性の才能、恵まれた環境、発想や努力を積み重ね続けて初めて、他称的に「天才」と心の底から思ってもらえることになるだろう。
まぁ、それが普通無理だから目先の自称天才を口に出して気持ちよくなろうとするんだよな。すごい気持ち分かる...
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だけど、謙虚でないことは社会的体裁を悪くするから、その面からもおすすめはできないよ!身内間でも辞めておきな!答えは沈黙だ!絶望しよう!
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自称天才電車ニキにそう伝えたい。
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