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楽譜のお勉強⑧ゴッフレド・ペトラッシ『死の合唱』

ゴッフレド・ペトラッシ(Goffredo Petrassi, 1904-2003)は、20世紀のイタリアを代表する作曲家です。ほぼ丸々20世紀を生き抜きました。作風の変遷も作曲の20世紀を体現したもので、新古典主義、旋法的な作風からスタートし、無調や12音技法も駆使した作品を書くようになります。20世紀後半の音楽語法を取り入れることには慎重でしたが、いくつか前衛的とも言える作品も残しました。

管弦楽や大編成アンサンブルを伴う声楽作品がとりわけ有名で、何種類もCDがリリースされていたりしています。しかし、20世紀の作曲家という印象は否めず、現在頻繁に演奏会プログラムで名前を見ることはありません。混声合唱のための『ナンセンス』(Nonsense, 1952)などはとても斬新で面白く、むかし勉強しました。とても面白い曲が多いと感じているので、今回は男声合唱、3台のピアノ、金管合奏、コントラバスと打楽器のための劇的マドリガル『死の合唱』(Coro di morti, 1941)を読んでみたいと思います。

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まずは編成が目を引きます。3台のピアノ、4本のホルン、4本のトランペット、3本のトロンボーン、チューバ、打楽器群、コントラバス(人数指定はないが合奏)と男声合唱です。複数のピアノを主軸に用いた管弦楽法はストラヴィンスキーの傑作バレエ・カンタータ『結婚』(Les Noces, 1914-1923)が真っ先に思い浮かびます。4台のピアノを軸としてクリスピーなピアノの音色で前例のない立体的な響きを作り出しました。この曲が多くの作曲家に影響を与えたことは間違いなく、ペトラッシが『死の合唱』を作曲していたまさに同時期に、4台のピアノを軸としたオーケストレーションによる大規模な合唱作品『カトゥーリ・カルミナ』(Catulli Carmina, 1940-1943)がドイツの作曲家カール・オルフによって作曲されていました。ペトラッシの作品はこの2曲に比べるとピアノが1台少なく、演奏時間も短め(16−17分)ですが、複数のピアノが織り成す宇宙的な響きの広がりが興味深く、やはりこの点を中心に読みたいと思います。

複数のピアノを用いる利点はたくさんありますが、何といってもペダルの踏み分けが出来る点が大きいです。ピアノの響きはペダルの用い方によってとてつもない可能性を示します。ペダルを全く踏まない乾いたスタッカートも魅力的な音色です。細かく踏み分けて演奏するレガートは素朴で美しく、踏みっぱなしにして響きの絨毯を織ることも出来るのです。これらを組み合わせてさらなる可能性が広がると、本当に無限なのではないかと思えるほど、響きの組み立て方が可能です。また、音域による音色の差も大きい楽器で、そういった様々な側面がどんどん未知の音楽の可能性を示してくれるのです。

実際にペトラッシの記譜は、当時のオーケストラのピアノ・パートとしては珍しいほどペダルの指示が細かくなされています。冒頭から31小節までは各ピアノの役割がはっきりと分かれています。乾いた音色で刻む第3ピアノ、しっとりとしたロングトーンとソステヌートの刻みを組み合わせた第1及び第2ピアノが対位法的に補完し合い、強いリズムの楔を第1ピアノが表現します。第2ピアノは徐々に第3ピアノに吸収され、ユニゾンの刻みを演奏します。第1ピアノも時折ユニゾンに合流しますが、一人だけレガート奏でビートの刻みに流れを付けたりします。ユニゾンをどのようにオーケストレーションするか、というのは作曲家にとってとても大事なテーマです。同じことを同じように聴かせたいのか、同じことが違う表情を見せるように聴かせたいのか、慎重に、ときに神経質に決断することもあるでしょう。最初の部分では金管合奏は多くの場合、ピアノによる下敷きにコメントをするほどの内容で素朴ですが、徐々にピアノが冒頭に示したパッセージを受け取っていきます。合唱は自然な抑揚で、オーケストラの演奏が薄い箇所で淡々と歌を進めます。

32小節目から大変美しい高音と低音のピアノ弱奏が始まります。第1ピアノと第2ピアノがユニゾンでほとんど音の動かないコラールを奏するのですが、右手は最高音域、左手は最低音域でこの世のものとも思えない響きを演奏します。2人で演奏している効果が大変高く、素朴で、ほとんど音が動かないものをユニゾンで演奏するも、人間の演奏ですから、たまにほんの少しリズム点がズレてしまったり、また2台のピアノは地理的に発音地点が2箇所になるので、一つのコラールが重なって聞こえたりして、大変美しいです。あまりにも現実味のない響きなのでこの曲が宿命的に持つ厭世観を感じます。第2ピアノはそのコラールの合間を極端に音域の広い単旋律をゆっくりと奏でて行きます。合唱が次第に対位法的な様子を高め、次のセクションへの移行を予見します。

73小節目からスケルツォが始まります。ここから金管主導になります。シンプルなフーガがトランペット、ホルン、トロンボーンの順で演奏されますが、第4声部を引き受けるのは第1ピアノです。そして第1ピアノはいきなり主題の冒頭2音だけを反行形で演奏し、すぐに基本的な主題の形に戻します。ペトラッシは終止ピアノに主張させるつもりです。とても効果的で意味が重い表現です。

ここより先、後半のオーケストレーションはやや慎重さに欠けます。流暢な管弦楽法で神経質さは影を潜め、素直に盛り上がりを見せて行く管弦楽付き合唱曲の姿になっていきます。3台のピアノも、不思議な響きの立体を組み立てる役割が弱くなり、響きの厚みを聴かせる分かりやすい機能になっていきます。

ヨハン・セバスチャン・バッハは3台のチェンバロ、4台のチェンバロのための協奏曲を作曲しました。これらは鍵盤楽器が複数で演奏する立体的効果を最大限に引き出した驚異的な曲でした。ストラヴィンスキーの傑作バレエも、源流を辿ればこれかもしれません。ピアノはチェンバロよりも音域が広がり、音色や強弱のコントロールの柔軟さも獲得した楽器です。複数のピアノで宇宙的な響きを作り出したいと願う作曲家は今も後を絶ちません。私の記憶に強く残っている作品にゲオルク・フリードリヒ・ハース(Georg Friedrich Haas, b.1953)の6台のピアノと大オーケストラのための『リミテッド・アプロクシメイション(限定された近似値)』という作品があります。これは、6台のピアノをそれぞれ別の調律にして、ほぼ自然倍音列に近い音列をピアノで演奏することを可能にした曲なのです。何度も勉強した曲なので、この楽譜のお勉強記事シリーズの趣旨から外れますが(まだ読んでいない楽譜を読むという趣旨)、いつか記事にも書いてみようと思います。

ストラヴィンスキーやオルフの有名な作品の影に隠れがちですが、ペトラッシの『死の合唱』も演奏され続けられる価値のある曲と思っています。後半、劇的な表現に成功していますが、私にとっての特別な聴き所は前半に偏っています。それでも、ピアノという楽器を用いた管弦楽法への示唆をたくさん見せてくれる曲だと感じました。


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