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楽譜のお勉強【66】ヒエロニムス・プレトリウス『第1旋法によるオルガンのマニフィカト』

ヒエロニムス・プレトリウス(Hieronymus Praetorius, 1560-1629)はドイツ・ルネサンス時代の終焉とドイツ・バロック時代の到来を橋渡しする作曲家の一人です。同じ時代に活躍したとても有名な作曲家にミヒャエル・プレトリウス(Michael PraetoriusまたはMichael Schulteis, 1571-1621)がいますが、この作曲家とヒエロニムス・プレトリウスの間に血縁関係はありません。通常プレトリウスと言うと、ミヒャエル・プレトリウスのことを指します。しかし、ヒエロニムス・プレトリウスも西洋音楽史上重要な功績を残した作曲家で、しかも音楽家一家であり、父も子らも作曲家として活躍しました(ヤコプ・プレトリウス1世とヤコプ・プレトリウス2世、ヨハン・プレトリウス)。ヒエロニムス・プレトリウスとミヒャエル・プレトリウスの混同はレパートリーについても起こります。どちらも主力は宗教声楽曲で、なおかつオルガニストでもあったのです。ミヒャエルの方は、音楽に関する学術書をたくさん残し、また世俗的なフランス風の舞曲をたくさん作曲して『テルプシコーレ』(»Terpsichore«)という曲集として出版しました。この曲集は今日でも大変人気があり、世界中で演奏されています。翻ってヒエロニムスの方は器楽曲を多く残しはしませんでしたが、オルガンのために作曲した8つの「マニフィカト」が有名です。本日は彼のオルガン・マニフィカトの中から『第1旋法によるマニフィカト』(»Magnificat primi toni in tenore«)を読んでいきます。

『第1旋法によるマニフィカト』はタイトルにある通り、第1旋法(ドリア旋法)によって作曲されていますが、この曲で特徴的なのは第5旋法であるリディア旋法で曲が開始している点です。曲は、原題にある ‚in tenore’ の言葉通り、定旋律をテノールに置く形で始まり、第2部「Versus in discanto」となり定旋律は高声に置かれ、最後の第3部で「Versus in basso」となって低音に定旋律が現れる3部構成です。いずれの部分でもドリア旋法で曲は開始しません。このように自由な旋法の揺らぎは古楽にそこそこ見られるもので、古典派以降決定的に確立していく調性の理論との隔たりを感じます。

定旋律は非常にシンプルなもので、全音符、もしくはタイで結ばれた全音符2小節という極めてゆっくりした動きで進行します。そしてA音に到達してから執拗にその音を繰り返すのが特徴となっています。あまりのシンプルさに、今日的な音楽鑑賞の視点で見れば、伴奏パートみたいに見えたりしてしまいます。しかし定旋律は、楽曲を支える骨子で、その周りを自由に装飾的に歌ってもらうために、シンプルであることはメリットも多いのです。シンプルな定旋律は虚飾を拝した時に聞こえる荘厳さも保証されるため、作曲技法上の使い勝手も良いです。

第2部では9小節目に高声の定旋律が現れますが、導入の最初のアルト声部は音価を自由に操作した定旋律の変奏とも取れるもので、曲の整合性を高めています。次第に音価を短くして盛り上げた先で、ドローンのように長い音価の定旋律が開始する展開は、常套的ではありますが効果的です。第2部は高声のゆっくりした定旋律の導入が展開し、装飾され、音価がどんどん細かくなって、コロラトゥーラ・ソプラノのような装飾性を発揮して終わります。

最後の第3部はスケールの大きな音楽です。曲の冒頭と同じリディア旋法で始まりますが、バスの定旋律が現れるまで長い時間を要します。第2部と同様、定旋律と同じような動きをするモチーフが用いられ、高声から下声部へとフーガのように追走していき、予兆に満ちた導入です。26小節目で満を辞して現れる定旋律はしかし不完全なもので、導入の2音を省いてAの同音が続く部分から演奏されます。そこに到達するまでに定旋律を元にしたフラグメントがそこかしこに聞こえていますから、意外と変化に気づかずに聞こえてくるのが面白いです。しかも定旋律導入より以前に、Aの同音連打の断片がディスカントゥス声部に現れているのです。作曲技法を凝らして面白い表現を達成しようという意気込みが感じられる作品です。

ヒエロニムス・プレトリウスは、声楽曲に比べて器楽曲が有名というわけではないのですが、上述のような凝った作曲の方法は後世の作曲家に大きな影響を与えました。彼は北部ドイツ・オルガン楽派と呼ばれる作曲家たちの祖とも呼ばれる作曲家で、以前記事でご紹介したザムエル・シャイトをはじめ、ハインリヒ・シャイデマン、フランツ・トゥンダー、マティアス・ヴェックマン、ヨハン・アダム・ラインケンといった錚々たるドイツ・バロック音楽の作曲家たちに影響を残し、ドイツ・オルガン音楽の頂点の一つとも言える作曲家ブクステフーデへと道を繋ぎました。最高に有名になって演奏家や聴衆からとことん愛されるようになった作曲家たちの作品はもちろん大変優れていることが多いのですが、そこへ続く道にはいろいろな先人たちの創作があったのだと想いを馳せることがあります。ヒエロニムス・プレトリウスの音楽がこれからどんどん演奏されるようになるかどうかは疑問の余地があるかもしれませんが、確かに魅力のある音楽を残した作曲家だったと感じました。

*)ザムエル・シャイトの記事はこちら


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