アンサンブルのかたち 〜『ささやきの回廊』について〜

新型コロナウイルスの蔓延に伴い、世界のシステムが激しいダメージを受けました。医療、経済、政治と、様々な分野で早急な新システムの構築が求められる中、文化事業も新たな試みを問われています。私は音楽に携わっているので、コロナ禍の中、自作を含むコンサートがキャンセルになったり、自分が音楽を担当した映画の上映が見合わせられたり、個人的にも影響を受けました。そんな中、作曲家の藤倉大さんがリモートによる合奏を念頭に置いた作品を発表し、話題になっています。自宅にいながら音楽を発信したり、受容したりすることができるインターネットの力を再確認しましたし、苦境においても積極的な一歩を踏み出すことの大切さに気付きます。また、今回のウイルス災害以前から、さっきょく塾等を通してオンラインで音楽家、作曲家たちが関わっていくシステムを発足させていた作曲家の渡辺裕紀子さんの活動からも多くの気付きを得ました。コンピューターリテラシーがそれほど高いわけではない私も、オンラインで授業をするようになったりするうちに、インターネットの積極的な利用に対して今まで重かった腰が上がって、学びの機会ともなりました。しかし、生で演奏される音楽を聴くことに慣れて過ごしてきたライフスタイルとは異なり、生の楽器の音や歌声を聴くことが出来ないフラストレーションは大きなものでした。

そんな中、さる2020年6月18日、私がデトモルト音楽大学で指導していた作曲科の生徒の卒業試験演奏会が行われました。通常は100席ほどのブラームス・ザール(デトモルト音大の小ホール)は、お客様の距離を保つために多くの座席があらかじめ使用禁止のテープで区切られていました。座席列は1列おきに完全に封鎖され、使用可能な列であっても、空席が3席おきに来るように、2席ずつ使用禁止になっていました。演奏家や審査員も着席するので、試験を受ける生徒はお客様を5名ほどにするように言われていました。また、いらっしゃるお客様は全員あらかじめ音大に申し込みをしている必要がありました。物々しい状況で行われた演奏会でしたが、長い間ライブで音を聴いていなかったこともあって、心に沁み入る歌声、楽器音を堪能したのです。私にとって、生の楽器の音の存在感は、電気的に発生した音と何やら本質が違うと感じました。たとえ今後、密になる状況を避けることがしばらくの間推奨されることになるとしても、生で音を聴くことのできる工夫をしていきたいと考えました。そのような想いの中から、2012年にケルンのニュー・タレント・ビエンナーレという若手芸術家による作品を発表する芸術祭(美術と音楽)で発表した七重奏作品『ささやきの回廊』(Flüstergalerie)を思い出しました。

『ささやきの回廊』(2012)は、前述の芸術祭の委嘱で、ケルンの若手現代音楽アンサンブルであるアンサンブル・ガラージュのために作曲されました。少し特殊な状況設定のある委嘱で、ケルンにあるコルンバ美術館という美術館の展示室最上階のフロア全体を使った作品を依頼されたのです。とは言っても、演奏会は当該フロアの中心にある大きな展示室に客席を並べる予定だったので、そこに隣接する小展示室は必ずしも使用する必要はありませんでした。しかし私は、せっかく特殊な場所で演奏していただくのだから、その状況は活かして作曲したいと考えました。そして作品は、音楽家の移動を伴い、各小部屋に散らばった演奏家たちが徐々に集結していく仕組みがシンプルで効果がありそうだと考えたのです。

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編成は、アンサンブル・ガラージュの楽器をほとんどフルに使用することにしました(ピアノを除く)。そうすると小展示室に演奏家たちが丁度よく散けるのです。楽器は、フルート、サックス、トロンボーン、打楽器、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロです。演奏家の移動を伴う作品において大変なのは、どのタイミングでどのように移動するのかということです。私は様々な作品で演奏家の移動を作品に組み込む試みをしています(*)が、演奏家に余計な負担をかけるし、視覚的情報が聴取の妨げになっているとの批判も受けます。しかし、やはり音が鳴る方向が変わることは魅力ですし、自らのインスピレーションに従って作曲しようと考えます。『ささやきの回廊』では、演奏家がもっとも散らばった状態から、中心へと集まって来る過程を楽章として整理し、6楽章で作曲することにしました。つまり楽章構成は、演奏→移動→演奏→移動→演奏→移動という具合です。具体的には第1楽章では演奏家は最も分散しており、2楽章で弦楽器奏者が中央室に集まり、3楽章はその状態で弦楽三重奏を中心とした密度の高い室内楽、4楽章で管楽器奏者も中央室に集い、5楽章でトゥッティを中心とした室内楽、最終楽章ではこれまで移動のなかった打楽器奏者が中央室に集まることなくどんどん離れていく、という構成になっています。

移動を伴う楽章のうち、2楽章と4楽章では演奏家が中央室に集まってくるため、聴衆はこの移動を目視することになります。演奏家の移動を伴う作品は多く存在しますが、私が時に残念に思うのは、移動自体が作品の一部になっていないものが多いということです。音響的理由により、演奏家が次の演奏場所に移動するのは作品の内容によっては必然ですが、その移動自体が適当にされていると、視覚情報が作品の邪魔になります。音楽だけを楽しみたいという人にとってはどうあってもそもそも邪魔な情報ですが、何とか作品に組み込む工夫をすることで、作品が新たな緊張感や表現力を獲得することもあると思います。以下に2楽章と4楽章の譜例を挙げます。ヴァイオリン奏者とヴィオラ奏者に歩き方と歩きながら行う演奏の両方を作曲しています。移動がリズムを持つことによって、ある種の儀式性を獲得しているようにも見えます。(当時はまだドイツ語が堪能ではなかったため、不思議なドイツ語が見受けられますが、この作品は再演されていませんので改訂編集していません。ご容赦ください。)

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楽譜提供©Edition Gravis Verlag GmbH

この移動の時間の計算等は、上演する美術館に足を運んで実際に歩いて距離を測って、歩幅等の感覚をつかみました。ステージングの工夫が必要な作品を作曲する時にはしばしば、このような仕込みが必要になります。音を考えたり書いたりし始める前にやっておかなければならないことが結構あるのです。このような距離等の要素は、再演にあたって変更があるため、その都度作品に調整が必要になるのですが、それも生ものとしての音楽作品の面白さかなと思っています。私はこれまでミュージックシアターを2作品作曲していますが(*2)、移動や空間での響きの捉え方を考える上で、『ささやきの回廊』等の作品で培った感性が役に立ちました。

こうした下準備をして、移動の楽章は割とスムーズに作曲することができました。移動によって、楽器の扱いが少し制限されるので(暗譜等の要因も含む)、こういうセクションの音素材はほぼ自動的に決まってきたりします。しかし実は『ささやきの回廊』を成立させているのは密度の高い室内楽的アンサンブルの要素なのです。区切られた小部屋に配置された演奏家をまとめるためには、モニターを使って指揮者を置くのがもっとも効率の良い方法だと思います。しかしこの作品の場合、そもそも指揮者を最初どこに置くのが正解なのかよく分かりません。また、指揮者の存在感や動きはどうしても聴衆の視線を集めるため、移動を集中して目撃してもらうことをねらったこの作品には合いません。現代の新曲において七重奏という編成はそれほど小さなものではなく、指揮を立てて演奏されることも多いでしょう。しかし私は前述の理由からあえて指揮のないアンサンブルの仕掛けを考えました。

客席は左右で二分されているので、中央正面にチェロを配置し、その向かい側、つまり客席後方にトロンボーンを配置します。この二人が大枠で指揮の役割を担います。したがってこの二人には移動をさせないことにしました。座席の配置と小展示室の入り口の位置から、小展示室に配置された演奏家はそれぞれチェリストかトロンボーニストのどちらかしか見ることができません。曲開始時にはそれぞれの奏者が散らばっている様子を音の在り方を通しても表現したかったので、指揮者演奏家とは違う楽器族に属する楽器をそれぞれ小展示室に配置しました。すなわち、チェロはフルートとサクソフォン、トロンボーンはヴァイオリンとヴィオラとそれぞれやや近く配置されていて、指示を出します。打楽器はさらに離れた展示室におり、配置打楽器を奏している状態から、なんとかトロンボーンとチェロのどちらかが見えるという位置を探りました。チェロとトロンボーン以外の演奏家は移動中も必ずそのどちらかが見える状態です。スコアには誰が誰に対してどのタイミングでキューを出すか、綿密に書き込むようにしました。

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第3楽章では弦楽器奏者が中央室に揃うため、弦楽三重奏を軸に、広がっていた音域を一箇所に集めるような音楽を計画しました。第5楽章では打楽器奏者を除く全員が中央室に揃うため、いま一度音域を拡張し、全員でまとまっていくような楽想になっています。そのような様子を書散らした、それぞれの楽章のスケッチをご紹介します。最後の楽章では全楽器が別々のテンポで再び散っていきますが、移動は伴わず、繊細にずれていくようにしました。最後は独りどんどん距離を離していく打楽器が残って余韻を聴かせて終わる作品になりました。聴衆は最初チェロとトロンボーンしか見えない状態から演奏が開始します。そして多方向から繊細なノイズが包み込むように移動しながら聞こえていく経験をします。その様子を『ささやきの回廊』に重ねました。

この作品は私の他の作品で演奏家の移動を伴うものに比べても、極めて状況が限定される再演が難しいこともあって、長い間自分の中で忘れられていました。いいえ、忘れられていたというのはちょっと違うかもしれません。作曲の作業の煩雑さに鑑みておかしなことかもしれませんが、あまりこの作品について自身で積極的に考えてこなかったのです。再演も難しく、作曲が難航した思い出もそれほど嬉しくないものだったからかもしれません。しかし、新型コロナウィルスの脅威が世界を席巻してしまった今日、作曲家である私は新しい発表のフォーマットを考えずにはおれません。そんな時にこの作品のことを思い出しました。生で音を聴きたい欲求と、ソーシャルディスタンスを保つ要請とを満たすために、例えば美術館の展示会場等で、インスタレーションのように流れる音楽で、聴衆は他者との距離を保ちながら足を進めていくような音楽のかたちも考えられると考えました。これから私がどのような作品を書いていくのかは分かりませんが、柔軟な発想で音楽を通して社会に関わっていくことが出来たらと思います。


『ささやきの回廊』の楽譜についてのお問い合わせは出版社 Edition Gravis にお問い合わせください。

https://www.editiongravis.de/verlag/product_info.php?info=p2578_Fluestergalerie.html

*) 演奏家の移動を組み込んだ作品の例として、『ウィリアム・ウィルソン』(2007、フルートとピアノ)、『ピエドラ』(2007、ソプラノ、弦楽三重奏、ハープ、笙)、『ミンネザング』(2007、ソプラノ、アルト、テノール、弦楽三重奏)、『インティメット・ナイト』(2008、アルト・フルート、照明)、『クィド・リーデス?II』(2010、フルート、オーボエ、クラリネット、打楽器、ハープ)、『ヘミオラの一族』(2015、サクソフォン、チューバ、打楽器、ピアノ、エレクトロニクス)、『レディKのパヴァンとM氏のガリアルド』(2017、ルネサンス・フルートとサックバット)

*2) ミュージックシアター作品は、オペラ『ヴィア・アウス・グラス』(2016-2018)、打楽器奏者とアシスタントのためのミュージックシアター『箱/境界』(2017-2019、渡邉理恵との共同作曲)

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