水槽

水槽の掃除,それから始まる徒弟関係,そして父娘の絆からのワンチーム

 最近,我が家に,ひょんなことから2代目の水槽が導入されました。きっかけは,いつもの妻の一言です。

 あまり日当たりがよくない我が家の和室は,冬になると薄暗く感じられる・・・,そうなのです。というのも,私はそのあたりの感覚に疎く,むしろ薄暗い感じが好きという旧日本人の価値観を持ち合わせています。妻の「ちょっと和室暗くない?」という言葉によって,「この薄暗い趣のある和室にネガティブな意味が見いだされることもあるのだ!!」ということを発見させていただきました。「うーん。確かにねー」私は,最大限妻の視点に立って,同意してみました。「そうでしょ,そうなんよね。もっと明るくないと,何だか寒く感じるし」妻は,我が意を得たりと続けます。彼女は,どうやら「人は誰もが皆,同じ感覚を持ち合わせている」という平等意識を持っているらしいのです。疑いもしない様子で,「この床の間が暗いのよね。いろいろ飾ってみる?」と応接間か?子供部屋か?というような提案を次々と思いついてはそのまま言葉にしていました。私は,その言葉に内心震えながらも,次の考えが思いつくのを心から祈っていたのでした。新たな考えが浮かべば,前の考えは流れ去っていく。審理はうちの和室の隅に転がっていたのでした。


 そんなこんなで,冬も深まり,日は陰っていきます。我が和室の薄暗さは,静けさをまとい,趣を異にしていました。薄暗い部屋には,我が家のギャングである娘たちも近寄りたがらないのです。そんなこんなで,静かな薄暗い和室。妻の和室改造化計画は,さらに過激になっていきました。そんなある日のことでした。彼女がひらめいてくれました。「あっ,水槽置けばいいんじゃない?」「おっ!!」私は,驚きました!!そして次の瞬間「いいんじゃない!?」と心から同意したのでした。こうなると善は急げです。しっかりと水槽プランを定着し,妻に次の考えが思い浮かぶ前に行動に移します。実際には,水槽を導入するのに少し時間がかかったのですが,「水槽はいい考えだね」とか,「水槽のライトはLEDにしようかな?」とか,「どんな感じの水槽にしようか?」など,妻の思考を水槽に向けるよう最大限の努力をしました。しかし,最近分かったことなのですが,私が水槽のレイアウトを考えているときに,妻が「少しづつ作っていくのも楽しみなんでしょ。楽しんで」と私に言ったことから,水槽を置くように妻の考えをキープするというように私が主導権を持って行っていたのではなく,むしろ妻の方が明るい部屋計画に対して一向に妻の意見にしたがって協力して行動に移さない私を動かすために水槽の話をしたのではないか,という考えに至りました。まぁ,でも何も知らないのが幸せというものかもしれません。とにかく,こうして我が家に水槽が導入されたのでした。


 新しい水槽が設置された日,娘たちは大興奮でした。特に,小学生の長女や次女は,自分たちも水槽のレイアウト作りに参加したがりました。父としては,嬉しい限りです。とはいえ,娘たちは水槽の経験はなく,勝手にやると大迷惑!?どうしたものでしょうか??


 そこで,私は親方になることにしました。確かに,相撲部屋の親方のような体形の私ですが,そういうことではなく,職人さんの親方をイメージしました。そして,娘たち新人に仕事を教える,つかうのです。いわゆる,徒弟性がここに生まれました。


 私がまだ幼い時,父から教わったことがあります。水槽の水替えの時,「ちょっとそこ持っといて。わしが,少しずつ動かすから,ズレないようにしっかり支えるんぞ」水槽の端を持って,親父が水替えをするのを飼育係の末端で参加しながら学んでいました。「息を合わせんとうまくいかんよ」親父がそういうので,親父の手の動き,体の動きを,私はしっかり見て,息を合わせ,全身で感じようとしていました。「失敗したら,魚が流れていくからね」私は,「魚の命を守るお世話の一端を担っている」そう思うと,真剣になったものでした。


 娘たちと,水槽づくりをしているとき,そんなことを思い出していました。そうして,水槽に水入れをするとき,いつもは言うことを聞かない娘たちが,私の動きに注目し,言うことを返事をしながら聴いていました。「ここで,水がこぼれないようにするのが難しいんだよね」「水草をどうやって固定しようかな」「糸で結ぶかな」などと独り言をつぶやきながら仕事をする私。それを聞きながら,「それで結ぶんだ」「石で押さえてみたら」「それじゃ難しいか」などと,私の考えを追体験しながら一緒に考える娘たち。水草を糸で石に固定する時には,「ちょっと,そこ持っといて」私は,娘に頼みました。娘は,「わかった」とニコニコしながら手伝ってくれました。そして,「こう持った方がいい?」などと,試行錯誤をはじめました。そして,結び終わったときには,「こっちの向きでするとやりやすかったね」とその工夫を言葉にしていました。「そうだね」私は,ただ彼女の意見に賛同しました。そして,「おかげで助かったよ」私は,本当にそう思ったのでした。


 いつの間にか,作業は進み,お世話をするその作業を通して,私たちはワンチームになっていました。娘とつながった時間。魚が泳ぐ,その水槽をじっと見つめている娘たちの誇らしい顔が,この記事を書いている私の脳裏に浮かび上がってきます。私は,自分の口元がほころんでいるのではないかと気にしながら,いい気分になっているのでした。

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