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古森科子評 ジョーン・エイキン『ルビーが詰まった脚』(三辺律子訳、東京創元社)

評者◆古森科子
児童書は子どものための本か――ジョーン・エイキンに学ぶ生きていくために大切なこと
ルビーが詰まった脚
ジョーン・エイキン 著、三辺律子 訳
東京創元社
No.3571 ・ 2022年12月17日

■大人こそ児童書を読むべきではないか。そんなことを思いながら読み進めていたら、訳者あとがきで三辺律子さんが、「子どもだけが楽しむ児童書というものはよくない児童書だ」という〈ナルニア物語〉の著者C・S・ルイスの言葉を引用されていて嬉しくなった。
『ルビーが詰まった脚』は、二〇世紀を代表する児童文学作家ジョーン・エイキンが一九五五年から一九八二年にかけて発表した十編をまとめた短編集だ。
「葉っぱでいっぱいの部屋」は、広いお屋敷で厳しい管理のもと暮らす少年ウィルが、大量の葉で覆われた部屋でエムという女の子と知り合い、自分らしさを取り戻していく物語。「ハンブルパピー」は、目に見えない仔犬と出会った主人公の心情が丁寧に綴られている。「フィリキンじいさん」には、祖母から聞いたフィリキンじいさんの幻影に徐々に蝕まれていく少年の様子が、「ルビーが詰まった脚」には、宿命を背負った獣医から受け継いだ不死鳥に苛まれる若者の葛藤が描かれている。「ロープの手品を見た男」は、新しい下宿人が語るインドの話に夢中になる子どもと、怪しむ大人の対比が『ハーメルンの笛吹き男』を思わせる。「希望」では、裏路地に迷い込むハープ奏者を軸に、短編とは思えぬ奥行きのある物語が展開され、「聴くこと」では、主人公ミドルマス教授の心情がつまびらかに記され、走馬灯のごとき死の間際の回想を連想させる。「上の階が怖い女の子」は、ハッピーエンドではないのにラストで奇妙な安堵を覚え、「変身の夜」は、ハッピーエンドでありながら先の不安を予感させる。「キンバルス・グリーン」は、主人公エムの豊かな想像力と勇気ある行動に、ミヒャエル・エンデの『モモ』を重ね合わせたくなる。
 日常と非日常が交錯する物語はどれも不穏さや気味の悪さが漂い、子どもの頃に感じた未知なるものへの言葉では表せない不安や恐怖を思い起こさせる。にもかかわらず、決して不快な印象を受けないのはエイキンの持ち味であるユーモアゆえであり、予測のつかない結末もまた、彼女の作品の魅力のひとつと言えるだろう。書名でもある「ルビーが詰まった脚」を読みはじめて思い出したのは、小学生の頃に読んだ手塚治虫の代表作『火の鳥』の〈異形編〉だ。輪廻転生など知らぬ時期に父の本棚から取って読み、尼寺の呪縛から逃れられない主人公の宿命の恐ろしさに慄いた鮮烈な記憶がよみがえった。だが『火の鳥』とは異なり、いい意味で期待を裏切られる結末にたどり着いてようやく、これは児童書であったと我に返った。
「ルビーが詰まった脚」の主人公、若きテーセウス・オブライエンは、旅の途中で見つけた怪我をしたフクロウを連れて、小さな町リヴォルノの獣医を訪ねる。診察室には人が入れるほどの大きな鳥籠に、羽根が純金で、ろうそくの炎のような目をした不死鳥がいた。部屋の反対側には巨大な砂時計が置かれている。怪我の手当てをしたあと、獣医はこう告げる。きみを後継者に任命し、〈不死鳥〉と〈砂時計〉と〈ルビーの詰まった義足〉を譲ろう。必死に固辞するも、勢いにのまれ「約束します」と答えてしまったテーセウスは、以後、悲しみに沈んだ日々を送ることになる。「ぜったいに籠から出すな」と言われた凶暴な不死鳥を見ているうちに、囚われているのはむしろ自分のような気がしてくる。獣医が〈心の平和〉と引き換えに手に入れたという〈不死鳥〉は、〈砂時計〉は、〈ルビーの詰まった義足〉は、いったい何を暗示しているのか。それらが示唆するものに、読者は自らの人生を重ねあわせずにはいられない。テーセウスが最後にどんな決断を下したかは、ぜひ本書を手に取って確認して頂きたい。
 奇想天外な設定に加え、不穏なタッチで終始不安に陥れながらも多くの読者を惹きつけてやまないエイキンの物語の最大の魅力は、若くして夫を失い、児童書を書くことを生業として生きてきた彼女が物語に込めた並々ならぬ熱意にあるといえる。どの話にも、物語というのは単なる絵空事ではなく、厳しい世の中をたくましく生きぬくための手引き書である、という彼女の力強いメッセージが潜んでいる。このため一見荒唐無稽なようでも、決して面白おかしいだけでは終わらない何かを、読者は彼女の綴る物語から感じ取ることができるのである。
 視覚優位なソーシャルメディア・コンテンツがネットに溢れる現代において、豊かな想像力を働かせるのは容易なことではない。だが、子どもの頃にエイキンの綴る物語と出会う幸運に恵まれたなら、この世の中に希望を見出せる人が増えるのではないか。いや、大人になってからでも決して遅くはない。本書を読めば、大人になった今だからこそ味わえる人生の機微に触れることができ、生きていくために大切なことがきっと見えてくるはずだ。
(翻訳者)

「図書新聞」No.3571 ・ 2022年12月17日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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