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大工原彩評 ウルワシ・ブタリア編『そして私たちの物語は世界の物語の一部となる――インド北東部女性作家アンソロジー』(中村唯日本語版監修国書刊行会)

評者◆大工原彩
ありのままのわたしを語ることはあなたと出会うこと――インドの北東部に暮らす女性たちが、インドの中央政府と州政府との権力関係、家父長制の下での男女関係という二重の権力構造の中で「周縁」の存在とされていることがわかる
そして私たちの物語は世界の物語の一部となる――インド北東部女性作家アンソロジー
ウルワシ・ブタリア 編、中村唯 日本語版監修
国書刊行会
No.3605 ・ 2023年09月02日

■インドの北東部と聞いて、場所とそこに暮らす人たちをすぐに思い浮かべられる日本人は多くないかもしれない。インド北東部は、インドの東側、バングラデシュとミャンマーに挟まれた場所に位置する合計八州から構成される地域だ。ここには東南アジアの部族にも似た多様な部族が暮らし、イギリスの植民地時代に労働力として移住してきたネパール系、ベンガル地域からのイスラム教徒も居住する。文化、言語、宗教(キリスト教徒人口も多い)など多様性に象徴される地域でもある。インパール作戦で有名なインパールもある。
 『そして私たちの物語は世界の物語の一部となる』は、このインドの北東部の中の四つの州の女性作家の作品を集めたアンソロジーだ。ナガランド州では一九六〇年代から独立運動が活発となり、その動きは二〇〇三年まで続いた。この州の出身であるテムスラ・アオの「手紙」は、反政府の地下勢力とインド政府の間で板挟みになる村人たちの姿を描きつつ、暴力が最終的に人に背負わすものが何かを問いかける。「手紙」に登場する村は、地下勢力と政府とも穏便に、うまくやってきた村だ。ある日、ナガの「地下政府」を名乗る男たちが「税金」の徴収という名目で、村人たちが政府から請け負った工事で稼いだ賃金を無理やり奪っていく。子供の試験の費用を奪われまいと必死で抵抗するある村人に、地下政府の男は容赦なく暴力を振るう。地下政府の傍若無人な振る舞いに遂に堪忍袋の緒が切れた村人たちは、どちらの言いなりとなることもやめようと決意するが、その決意が村で事件を引き起こす。
 アルナチャル・プラデーシュ州出身のミロ・アンカの「亡霊の歯医者」は、故郷を離れて高等教育を受け、大都市バンガロールで歯科医として勤務する若い女性を主人公とする物語だ。優秀な子供は、医者かエンジニアを目指すインドで、地方出身者ながら努力して成功への道を歩んできたにもかかわらず、彼女は自分の職業に確信をもてず、まるで「亡霊」のように空虚な日々を送っていた。そんな主人公が、ひょんなことで故郷で歯科医師として働き始めるのだが、ふと自分の日常を書き留めることを思いつく。そのうちに、なぜ自分の生まれた地方の部族や文化、歴史が教えられていないのか、なぜ自分たちのことは語られていないのか、そのことになぜ無関心なのかと問い始める。その疑問は、自分の世界が外の世界にどう反応するのかを知りたいという衝動を生み、自分の言葉で自分の物語を語ろうという決意に至らせる。物語の主人公が暮らすアルナチャル・プラデーシュ州では、地域の人口の大半が文字を持たかったため、文字で残された物語が少ないという。「ザ・サミット」の著者でもあるママング・ダイは、「アルナチャル・プラデーシュ州からの文学作品について」において、アルナチャルの人々が母語ではないヒンディー語や英語という「他者」の言語で語ることが「私たちの物語は失われることなく、世界の一部となる」ことに希望を見出していることも興味深い。
 四つの州から集められた二十三作品。これらの物語を通じて、インドの北東部に暮らす女性たちが、インドの中央政府と州政府との権力関係、家父長制の下での男女関係という二重の権力構造の中で「周縁」の存在とされていることがわかる。彼女たちの日常は、家父長的価値観が色濃く残る家庭における抑圧と北東部地域とインドの中央という関係性に絡め取られている。疎外された存在として、「闇に葬られ」、ないことにされている。そんな彼女たちの「絶望、果てしない無力感、生々しい恐怖」に光を当て、声を与え、みえない支配的文化規範や言説を浮き上がらせていくのがこのアンソロジーとも言えるだろう。
 この本を世に送り出したズバーン出版は、編集者であるウルワシ・ブタリアによって立ち上げられた出版社である。ブタリアは、社会で「周縁化」された女性たち自身の声を拾うことに一貫して取り組んできて、本書でも、インド北東部の女性たちの声をインドの他の地域に、そして世界に届けようと試みる。
 遠く離れたインドの北東部という場所に暮らす女性が、どのように暮らし、日々の中で何を思い、何を大切にし、何を欲望し、何に悲しみ、どういった希望を胸に抱くのか。一つ一つ丁寧に紡がれた言葉を拾いながら、世界のどこかに暮らすあなたのことを思い、日本語という自分たちの言葉で自分たちの物語を語り、あなたとつながる選択肢が私たちにもあることに気づかせてくれる。
(翻訳者)

「図書新聞」No.3605・ 2023年9月02日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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