見出し画像

柳澤宏美評 ケイト・モーガン『殺人者たちの「罪」と「罰」――イギリスにおける人殺しと裁判の歴史』(近藤隆文/古森科子訳、草思社)

評者◆柳澤宏美
変化し続ける「殺人」を巡るシステム――イギリスの殺人に関する法律の変遷をまとめた本書には、十八世紀から現在までの事例が紹介されている
殺人者たちの「罪」と「罰」――イギリスにおける人殺しと裁判の歴史
ケイト・モーガン 著、近藤隆文/古森科子 訳
草思社
No.3626 ・ 2024年02月03日

■殺人事件。実際の生活で関わることはご免こうむりたいが、フィクションでは人気のコンテンツだ。推理小説やサスペンスドラマ、それこそ古典と言われる文学から現在放送中のドラマまで、殺人を題材にしたものは数多い。創作においては犯人の動機やどうやって殺したのかというトリック等が大きな要素となり、犯行に及ぶまで、あるいは犯人が判明するまでが物語の核となる。だが、そういったフィクションに親しんでいる人々も実際に彼らを裁くとき、どうやって殺人に対する罰が確定するのかについては、考えたこともないのではないだろうか。せいぜい、裁判のニュースを見て、感覚的に「こんなの刑が軽すぎる」や「冤罪ではないのか」といった思いを抱くくらいだろう。
 イギリスの殺人に関する法律の変遷をまとめた本書には、十八世紀から現在までの事例が紹介されている。「法律に多大な影響をおよぼしてきた謀殺者たちは、私たちのイメージする残忍な人物像にはほど遠く、私たちとそう変わらない」とあるように、登場するのは切り裂きジャックのような伝説的な殺人犯ではなく、時代が違えば裁判にもならなかった事件やほんの少しの手違いで人を殺してしまった犯人たちの裁判記録である。
 殺人のなかにも種類があり、時代によってもその種類は変わるが、まず大きな前提として、イギリスの殺人には「謀殺」と「故殺」という分類があることが示される。謀殺=計画的な殺意のある殺人、故殺=計画的な殺意のない殺人とされ、謀殺が殺人のなかの頂点にあり、死刑(イギリスでは一九六五年に廃止)が適用される唯一の罪だった時期もある。十七世紀前半に法学者エドワード・クックが編纂した『イングランド法提要』で提示されたこの概念は、法律にあまり接してこなかった読者にはその区別が一体何を意味し、何に影響するのか理解し難かった。だが、まさに裁判の判決に影響するもので、区別は大きな意味を持つ。
 歴史や文学の挿話も織り交ぜながら、具体例が挙げられていく。最初の例は、王政下で行われた決闘だ。この古風な儀式ばった形式を踏襲して行われる名誉を守る行為は、公式には禁止されているが、非公式には容認されている状態が長く続いた。18世紀から19世紀にかけて起こった精神病を疑われる犯人による事件の判決は、無罪になるものの一生を病院で過ごさなければならなかった。「心神喪失」という状態が何を示すのかという問いが起こり、平時は通常の生活を送れている人物が殺害時には善悪の判断がつかなかったという「部分的狂気」という概念も生まれた。海難事故で食料が尽き、救助の気配もないとき、もう助かる見込みのないほど衰弱しきった人を殺し、食べて生き延びたという事件や暴力を受けていた女性による事件など、どうしようもない状況下での犯罪なのではないか、と思わせる例も挙げられている。そして現代に近くなると、医療事故、交通事故など意図せず死を引き起してしまった例や石油採掘場での事故、サッカースタジアムでの雑踏事故など個人ではなく組織が引き起した事故の例も挙げられている。これらの裁判の歴史は同時に階級の問題、女性の地位の問題、病理の問題などとも密接に関わっている。例えば、著者も書いているが、犯人が女性ではなく男性であれば、抗弁が認められ、謀殺容疑は無罪となったのではないかという事件もある。こういった事例とそれに対する社会の反応によって、「挑発」「共同意図」「限定的責任能力」等の法律上の概念ができたり、控訴院が誕生したりと司法制度が変化してきた。
 罪とは考えられていなかったことが罪となり、そしてどのように裁くのが最善なのか。一口に「殺人」といってもその法律が適応される罪はさまざまで、それに対応する法律も時を経ながらその時々の落としどころを探ってきた。それは現在も続き、法人を初めて故殺罪で訴追できるのかなど今も模索している。さて、日本の状況はどうか。司法制度に詳しくなくても本書で挙げられている事例と似たような事件が日本でもあったことは容易に思い浮かぶだろう。裁判員制度や死刑制度の議論もある。だが、特定の裁判を細かく追ったり、議論に関する本を読むなどしてこなかった人は、本書を読むことで少しニュースの見方が変わるかもしれない。例えば、裁判で弁護側が「殺意は否定した」や「心神喪失状態だった」という主張をしたというニュースに、筋が通っていないと憤ることもあるだろう。だが、制度を知ると、そう主張しなければならないのではないかという考えにたどり着く。人が人を裁くというシステムの複雑さを考えさせられる。
(学芸員)

「図書新聞」No.3626・ 2024年02月03日に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?