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小平慧評 トルーマン・カポーティ『サマー・クロッシング 』(大園弘訳、開文社出版)

評者◆小平慧
家族の外に「自分」を探す、若き主人公の自己探求の冒険を描く
サマー・クロッシング
トルーマン・カポーティ著、大園弘訳
開文社出版
No.3628 ・ 2024年02月24日

家族の外に「自分」を探す、若き主人公の自己探求の冒険を描く

 アメリカの現代作家トルーマン・カポーティ(一九二四‐一九八四)は、日本にも読者が多く、少なからぬ作品が邦訳されてきたが、その名前から何を連想するだろうか。『遠い声、遠い部屋』のゴシック小説的な意匠を凝らした仄暗い世界だろうか。あるいは実際の殺人事件に材を取り、ノンフィクション・ノヴェルというジャンルを切り開いた『冷血』だろうか。映画化もされた『ティファニーで朝食を』のヒロイン、ホリー・ゴライトリーを思い浮かべる人が最も多いかもしれない。
 そのホリーにも一脈通ずる女性主人公が登場するのが、本作『サマー・クロッシング』だ。原書はカポーティの死後に遺されたノート四冊分の原稿をもとに、二〇〇五年に出版。実際に書かれたのは一九四〇年代で、作家としてのキャリアの前半期だった。日本では二〇〇六年に『真夏の航海』(安西水丸訳、ランダムハウス講談社。のちに講談社文庫)として刊行されたが、今回はカポーティ研究者による新訳となる。
  裕福な両親に育てられ、社交デビューを目前に控えた十七歳の少女グレイディ・マクニールは、長い船旅に出る両親を見送り、ニューヨークの夏を一人で過ごすことになる。自由の予感にグレイディは胸を躍らせる。「目の前に広がる真っ白な夏が、思いのままに大胆で純真な最初のひと筆を待ち受ける広大なカンバスに思えてくるようなワクワク感を彼女は感じたのだ」。
 それもそのはず、グレイディと家族、とくに母親との関係は、ぎくしゃくとした緊張感をはらんでいるのだ。そもそもグレイディという名前は、母ルーシーの兄にちなみ、ルーシーが以前に死産した男の子に付けようとしていた名前だった。「グレイディはグレイディであったためしはなかった。ルーシーが望む子供ではなかった」と書かれるように、家族の中でのグレイディは、誰かの代わりでしかない。家族とは「自分」でいることを保障してくれる安全な場所ではないのだ。作者は母ルーシーの視点も取り入れながら、親子の感情の機微を冷徹に、立体的に描きだす。
 グレイディにはクライドという恋人がいるが、ふたりはさまざまな面で対照的だ。軍隊帰りで、労働者階級に属するユダヤ系のクライドは、粗野で言葉遣いも荒く、グレイディのことをあえてぞんざいに扱い、ほかに婚約相手がいるとうそぶきさえする。しかしそのクライドと、グレイディは両親不在のうちに結婚の手続きをしてしまう。グレイディにとって、クライドは自分の出自や「家族」に対するアンチテーゼとして、「自分」らしさのよすがとなっている。
 グレイディはクライドの家を初めて訪れたとき、ある種のカルチャーショックを受ける。兄弟姉妹の間で交わされるあけすけな会話。父は亡くなっているが、母を中心に保たれている家族の結束や一体感。「家族の感覚に乏しいグレイディにとって、そこは不思議で、暖かく、ほぼ別世界の空間だった。しかしそれは、グレイディが自分のために選択する雰囲気ではなかった」。家族との関係にわだかまりを抱えるグレイディは、親密な家族というものを目の当たりにして、内心で拒否反応を示してしまうのだ。
 一見、好人物ではないクライドだが、読者には次第に新たな面が見えてくる。発育に遅れのある妹のことをずっと大事にし、妹が亡くなったいまもその形見を持ち歩いていること。グレイディにとって自分が「何でもない存在」にすぎないという事実に、焦燥感を覚えていること。結局のところクライドもまた、彼なりの不安やナイーヴさを抱えた、一人の若者にすぎないことがわかってくる。
 本作にはグレイディと共通点の多い幼馴染、ピーターも登場する。グレイディに恋心を抱く彼は、生まれた環境にしても感性にしてもグレイディと「釣り合って」いるように見えるが、彼がクライドの代わりにグレイディのパートナーとなれないのは、その共通点のためなのが容易に見てとれる。絵に描いたような「三角関係」を扱っている本作だが、恋愛小説としての面は薄く、家族の中にあっては「自分」を確立できない主人公が、両親の不在というつかの間の自由を得て、家族の外にそれを見つけようとする試みを描いている。一見したところ独立心や冒険心からくるように見えるヒロインの行動は、実はもっと不安定で危ういものをはらんでいて、それが読み手にとってのスリルを生んでいる。
 本作の幕切れは実にあっけない。グレイディはクライドとピーターの二人を巻き込んで、ある破滅的な行動に出るのだが、物語に伴走してきた読者としては、道なかばで放り出されたような感覚に陥る。それでもなお、その地点に至るまでの家族をめぐる葛藤を描くカポーティの筆致や、若い主人公の自己探求の冒険は、間違いなく深い納得をもたらしてくれる。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3628・ 2024年02月24日に掲載。https://toshoshimbun.com/

「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。



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