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岩本明評 尾崎俊介『アメリカは自己啓発本でできている――ベストセラーからひもとく』(平凡社)

知られざる秘境、「自己啓発本」の世界を旅する――軽妙な筆致でアメリカ社会とアメリカ人の心理状況を明らかに

岩本明
アメリカは自己啓発本でできている――ベストセラーからひもとく
尾崎俊介
平凡社

■奇妙に説得力があるタイトルだ。巷間に溢れる自己啓発本ロングセラーの大半はアメリカ人作家の手によるものだし、このジャンルの広告に踊る過度に前向きなメッセージは典型的な「勝ち組のアメリカ人ビジネスマン」のイメージそのものに見えるからだろう。
 しかし考えてみると、私たちが「自己啓発本」について知っていることはそれほど多くない。売上ランキング上位を占め続けているにもかかわらず、「自己啓発本など一度も読んだことがない」という人も珍しくはない。本書はそのような知られざる自己啓発本の、いわば「異世界」を旅するための案内書である。そしてまた、自己啓発本の発展の歴史を追うことでアメリカの社会文化とアメリカ人の心理の変遷を読み解こうとする意欲的な試みでもある。
 著者の専門はアメリカ文学・アメリカ文化だが、その対象は私たちが「アメリカ文学」と聞いて想像するものとは一味違う。ペーパーバック、ハーレクイン・ロマンスなどのアカデミックな価値においては劣ると見なされてきた大衆小説に、学術的意義を見出すことに注力してきたのだ。その研究の一端は、『紙表紙の誘惑―アメリカン・ペーパーバック・ラビリンス』(二〇〇二)、『ホールデンの肖像―ペーパーバックからみるアメリカの読書文化 』(二〇一四)、『ハーレクイン・ロマンス: 恋愛小説から読むアメリカ』(二〇一九)などの著書に見ることができる。本書もまた、大衆文学の発展とアメリカ社会との相関を追う一連の著作に名を連ねる。
 著者は、自己啓発本を「出世指南書」であると定義づけ、その誕生から現代にいたるまでの変遷を追う。アメリカの自己啓発思想の二大潮流を「自助努力系」と「引き寄せ系」とし、これらはエマニュエル・スウェーデンボルグを源流とする「ニューソート」を起点にそれぞれ生成したものではないかとする推論が、本書を貫いている。
 十八世紀、自己啓発本の端緒としてまず現れたのが「自助努力系」だ。伝統的なキリスト教の権威が失墜していく中で、替わって存在感を増したのが「ニューソート」である。「人の運命は神が決定し、天国は死後に訪れる」としたカルヴァン主義に対して、「誠実に仕事に励み人の役に立てば、生きている間に周囲を天国に変えられる」と示したこの新思想は、当時のアメリカ社会に強い影響を与えた。その「自助努力により現世での成功を手に入れた」最初の代表例が、植字工から「建国の父」と呼ばれるまでの地位を築いたベンジャミン・フランクリンだ。彼が自身の来歴や出世の秘訣を書いた『自伝』を皮切りに、成功者の自伝や古今の著名人の出世譚が自己啓発本として支持されるようになり、今日に至るまで多くの読者を獲得し続ける一大ジャンルとなった。
 だが十九世紀になると、「自助努力系」とはまったく様相の異なる思想が現れる。「引き寄せ系」だ。「人間が心の中で強く願うことは、すべて実現する」という「引き寄せの法則」の根本にあるのは「人間の『思い』には大きな力があり、人は自分自身を変えることで世界を変えることができる」という理念である。これもまた、「ニューソート」の発展した姿なのだと著者は述べる。「引き寄せ系」の自己啓発本は二十世紀の資本主義経済の発展に伴って人気を拡大し、現代でもベストセラーの常連だ。
 自己啓発本はこの二つの流れに大別されるのだが、想定読者や時代性、社会情勢などによって、ここからさらに数々の変種が生みだされてきた。セールスマンとなり金持ちになる方法を指南する「金儲け系」、年長者が若者に人生訓を授ける「父から息子への手紙系」、暦に日々の暮らしを豊かにするための短い格言が添えられた「日めくり系」などが言及されているが、中でも興味深いのは第二次大戦後のベビーブーマー世代の自己啓発思想のトレンドだ。
 ベビーブーマーは、従来の立身出世や金儲け、競争を重んじる価値観、ひいては「親世代の成功した大人像」の枠にはまることを拒否した。そして自らが中年に差し掛かるころには、自身の成熟に抗い、若々しく痩せた肉体を求めるようになった。「痩身系」自己啓発思想が生まれ、そこにジョギングやワーキングアウトを扱った「スポーツ系」自己啓発本が盛んに出版されるようになったのはこうした背景があるのではないか、という著者の考察は出色である。
 分析的な眼差しで自己啓発本のトレンドの移り変わりを見つめ、軽妙な筆致でアメリカ社会とアメリカ人の心理状況を明らかにする本書は、大いに知的好奇心を満たしてくれる。本書「はじめに」で述べられているが、こういった書物に「うさん臭い」「くだらない」という目を向けてきた人にこそ、多くの発見をもたらす一冊となるに違いない。
(編集者/翻訳者)

「図書新聞」No.3642・ 2024年6月8日に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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