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山本常芳子評 ジョーン・エイキン『お城の人々』(三辺律子訳、東京創元社)

見えない世界――穏やかな愛で綴られる恐ろしくも不思議な物語山本常芳子
書籍名・作品名:お城の人々
著者名・制作者名:ジョーン・エイキン 著、三辺律子 訳
出版社名・制作者名:東京創元社
見えない世界――穏やかな愛で綴られる恐ろしくも不思議な物語
■生と死は隣り合わせにある。目の前の慌ただしい現実に心奪われても、ともすれば忘れがちでも、あるいはあまりの恐ろしさに正視していられず遠くへ追い払ったようでも、死は私たちのすぐそばにある。意識の奥深くにいつも在る死後の世界も、妖精や魔法の世界も、見えない世界は現実の世界と常にどこかで繋がっている。
 英国作家ジョーン・エイキンの『お城の人々』は、そんな見えない世界をさまざまな形で描いた珠玉の十編を収めた短編集である。原書は、著者の娘リサ・エイキンと米国の作家であり編集者でもあるケリー・リンクが編んだ『The People in the Castle』。一九五五年から一九九〇年にかけて発表された、選りすぐりの二十編から成る。日本では十編が先に『ルビーが詰まった脚』として出版されており(二〇二二年)、残る短編を洩らさず収録したのが本書である。
 冒頭の「ロブの飼い主」では、子犬ロブが運命を感じた五歳の女の子サラとの結びつきが描かれる。一人と一匹は事故に遭い、重傷を負った飼い主サラを見舞いに亡きロブが病院に現れる。愛する者を想い死者が姿を見せる話は、古今東西普遍なのだ。続く「携帯用エレファント」は不思議な森を舞台に、主人公青年マイルズが入場のために携帯用のゾウを買う物語で、「言の葉」が目に見える「葉」として描かれているのが心に残る。「よこしまな伯爵夫人に音楽を」では、村に赴任してきた若い教師が、見えない「森の城」に住まう夫人との出来事がユーモラスに綴られている。
 死後の世界を描いた短編も奥深い。行き違いから結ばれなかった恋人たちの絆を、現生の男女が結び直す「ハープと自転車のためのソナタ」。不慮の事故で命を落とした若者が、夜中に彼女に電話をかけて詩集の出版を頼む「冷たい炎」。男が妻と共に年老いた両親を〈最期の家〉へ送り届ける様子を描いた「足の悪い王」。ひやりとした死の息遣いと共に、スリルをはらみながら物語は穏やかに語られる。
 エイキンの見えない世界は未来へも広がる。「最後の標本」に描かれた地球は爆発寸前、未来の宇宙から標本採取のために少女がやって来る。「ひみつの壁」では、発表当時の一九五五年には存在していなかったであろう三十三段変速ギアの自転車に乗る男が、未だ見ぬ壁を求めて山頂へ向かう。
 表題作「お城の人々」はおとぎ話の香り豊かに、古城を舞台に医者と呪いにかけられた王女の物語が綴られる。昼間は荒れ果てた城が夜は宮廷の騎士たちで賑わう。約束を破られて消える王女。映画館も登場し、古と今とが入り混じる。ようやく探し出した王女のひんやりとした手に誘われ、医者はどこへ向かうのだろう。原書と同じく最後に収められた「ワトキン、コンマ」は、他の九編とは異なる明るさを帯び、締めくくりに選ばれた作品として、見えない世界を描くことを通してエイキンが何を語ろうとしていたのかを考えさせられる。温もりを感じる新たな始まり。見える世界に遺された、生き続けるものとは何だろう。
 奥深い一編一編の中で描かれる見えない世界は、人々のすぐそばに在り、ひたひたと迫る怖さを感じさせながらも、静穏に綴られる。登場する人々は、その存在を疑問に思うことなく当たり前のように受け入れ、共存している。物語は大きな余韻を残して静かに終わる。読者には、現実を生き続ける人々、見えない世界に消えた人々のその後を考える空白が残される。
 物語の中では自然描写が秀逸であることも大きな魅力だろう。「携帯用エレファント」では赤や黄に始まり青や紫と色鮮やかに映える森が現れ、「最後の標本」では若葉のブナ、「ワトキン、コンマ」では川の小島に生い茂る柳やポプラ、ヒマラヤスギが美しい緑の情景をつくり目の前に広がる。動物も数多く登場する。エイキンがサセックスの自然豊かな環境で育ったことも大きく影響しているのではないかと推察される。彼女自身が幼年時代を振り返り、郷里の村が暮らした家も自然も当時のままに残されていて、物語を綴り始めた場所にいつでも帰れる幸せを述懐した手記も残されている。
 死の世界はひそやかに確かにすぐ近くにある。見えない世界は目に見える現実の世界のどこかで繋がっている。その気配に人は本能的に恐怖をおぼえるかもしれない。だが、忘れ去られてはならない場所でもある。穏やかに、暖かく、時に希望をもって描かれるそんな世界に、誘われてみてはいかがだろう。大人も子どもも、間違いなく楽しめる短編集である。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3628・ 2024年02月24日に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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