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田籠由美評 アーロン・グーヴェイア『男の子をダメな大人にしないために、親のぼくができること――「男らしさ」から自由になる子育て』(上田勢子訳、平凡社)

「有害な男らしさ」から脱却しよう――特に男の子をもつ父親は一度読んでみてはどうだろうか

田籠由美
男の子をダメな大人にしないために、親のぼくができること――「男らしさ」から自由になる子育て
アーロン・グーヴェイア 著、上田勢子 訳
平凡社

■世の中に潜在する歪んだ形の男らしさを、著者は「有害な男らしさ」と呼ぶ。悲しくても男だから泣けない、男たるもの人の助けを求めない、キレイなものや可愛いものは女向けだから近づかない、生意気な女は黙らす! 育児なんか女がするものだ! ……そんな有害な男らしさは、著者によれば男、女、そしてすべての人間の自分らしく生きる自由を阻害する。
 かつての著者は、表向きは進歩的なリベラルのジャーナリストとしてジェンダー問題にも関心を払っていたが、典型的なアメリカ白人男性として「マッチョイズム」(男っぽさを誇示すること)にとらわれていた。著者は若い頃から理屈では男女平等の実現を信じて多様な性を認めていたが、実はすべて上辺だけの浅い理解に過ぎなかったと悟らされる出来事に次々と遭遇するのである。
 彼は、自分より高給取りの女性との結婚や三人の息子たちの育児、とりわけADHD(注意欠如・多動症)の次男サムの子育てを通して、自分の中には「有害な男らしさ」が潜在し、そこから脱却することが人間らしい生き方をする上で大切なことに気付く。
 例えば著者はあるとき、失職して専業主婦になり三人の子育てに奔走する妻に対して、不完全な家事をヒステリックに咎めたことがあった。だが自分自身が少しでも育児をしてみると、どれほど専業主婦がエンドレスで大変な仕事か思い知らされることになる。そう、それは簡単ではない「仕事」なのだと著者は悟るのである。
 またあるとき、花火のようににぎやかだと著者が愛情を込めてその性格を描写するサムが、幼稚園に消防車のように真っ赤なマニキュアを塗って行ったことで、他の園児たちからいじめにあう。サムは「男のくせに」「男はマニキュアなんて塗らない」と一日中言われ続け、すっかり落ち込んでしまった。その出来事をきっかけに、著者はブロガーとしてジェンダー問題の活発な発言を始めた。長男のウィルから「弟との連帯を示すために自分もマニキュアを塗る」と提案され、著者はその勇気に思わずほろりとする。次男をからかった園児たちと違い、著者の息子たちはまだ有害な男らしさに洗脳されていなかったというわけだ。これは単にマニキュアというファッション、志向の問題に見えるが、実は自分が正しいと思うことをするために立ち上がる毅然とした姿勢につながると著者は語る。確かに、何でも「右に習え」で多数派に合わせるのでは、もっと大きな問題に対してなおさら自分の意見を主張できないだろう。こうした毅然とした態度は、わたしたち日本人も学ぶべきかもしれない。
 頭でっかちで経験不足の若い人なら、かつての著者のような夫婦の役割についてのダブルスタンダードはよくあることだろう。少なくとも著者は自分の妻への配慮の足りなさに気付き、それから脱却しようと努力を重ねてきた。彼はそんな自分を「改心者」と呼び、自分ほどこのテーマを語るのに適任者はいないと言う。そして、子育てにおいて、この有害な男らしさの種を蒔かないことがすべての子どもたちの明るい未来のために重要であると指摘する。
 深刻な問題として、アメリカ人男性の自殺率は女性の4倍で、銃乱射事件の加害者の大多数は白人男性だという事実がある。悲しいときでも男らしくないからと助けを求められず、男はいつも強くなくてはならないと思い込み、どうしようもなくなって怒りを暴力に向ける、そんな男性に育てないことを著者は目指す。
 ところで、「騎士道精神」はレディファーストの紳士的振る舞いの背景にあって、美化されがちだ。しかしそれも著者によれば、弱い女性を守るという意味では家父長主義的な男尊女卑につながっている。結局のところ女性にだけ優しく親切にするのではなく、誰でも必要な人には必要な親切をできる人間になることが大切なのだ。
 思春期の男の子は性ホルモンの上昇で攻撃的になることもある。しかし、だからと言って決して他者を犠牲にしてはいけないのだと著者は語る。そのために、そうしたモヤモヤについて語り合える親子関係が(特に父親は体験者として)重要だ。性的同意について教えることも大切だ。男親が息子を育てるとき、古い男女観にこだわらずにその個人の特性を伸ばして社会のあらゆる人々と助け合えるような人間としての成長を助けることが望ましい。男の子からも女の子からも可能性を奪ってはいけない。そして、無条件に子どもを愛すること、それこそ著者がすべての親たちに最も望む姿勢だ。
 現代の日本人の子育て世代にアメリカほどマッチョイズムがはびこっているとは思えないが、本書には日本人の心情に訴える部分も少なからず含まれているので、特に男の子をもつ父親は一度読んでみてはどうだろうか。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3635・ 2024年4月13日に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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