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「期待するからがっかりする。だから【期待】を捨てるべきだ。」ってほんと!?

だんだんと木の葉が色づいてきたベルギーからこんばんは。
みなさま、お元氣なんですから。


みなさんは、「こんなはずじゃない」とがっかりしたり、「何であの人はこんなことするんだ」と怒ったりしますか。しませんか。

物事がうまくいかないことは多々あると思います。ちょっとしたことなんですよね、そういうのって。「こんなはずじゃない」って。

そこで、こんなことを聞いたことはありませんか。
「期待するからがっかりするんだ。だから期待しなければいい。」
と。

いかにも、、、、。
と、今までずっと思っていました。
そして、そんな自分は変わらなければならない、と自分を追い詰めていました。
すると、悪循環が生まれて、
「自分がダメ人間だから、誰かにがっかりしたり、こんなはずじゃないと思ったりするんだ。」
と。

確かに、期待しなければ、がっかりすることは無くなるでしょう。
例えば、
「電車が時間通りに来なかった。どうしよう。困る。」
→「電車が時間通りに来なかった。まあいいさ。そんなもんさ。」

でも、みなさん、これって本当に良いことなんでしょうか
電車が時間通りに来なかったことは仕方ないにしても、その後、友人との約束の時間に遅れて相手に迷惑をかけてしまうかもしれないですし、もしくは、就職の面接に遅れて不合格になるかもしれません。時刻表を信じたわしが悪いんでしょうか。

わし、思うんです。
期待していいんじゃないかと。

期待がなくなってしまったら、誰とも約束なんかできなくなりますよ。
「明日の夕方6時に待ち合わせて、食事に行こう。」
相手が約束を守るだろうという期待なしに、こんな約束ができるでしょうか。
期待することをやめたら、この世の全てが崩れていくと思うんです。

例えば、介護士が
「利用者のお手伝いをすることで、利用者に心地よく生活できるように心がけたい。」
と思って仕事に就いたとしましょう。彼または彼女が一生懸命に働けるのは、
「利用者さんが笑顔になってくれるかもしれない」
という期待があるからですよね。さらには仕事ですから、
「働くことによってお金がもらえる」
という期待もありますよね。

確かに、一生懸命頑張っても、利用者さんに笑顔になってもらえないこともあります。がっかりします。
土日も仕事して、夜勤もして、一生懸命に働いても、それに見合う給与をもらっていると実感できず、がっかりするかもしれません。
この「がっかりする氣持ち」って、感じてはいけないものなんでしょうか。

わし、さっき、思ったんです。

過剰な期待はよくないけれど、ある程度の期待なら良いんではないかと。

さっきの介護士の例なら、
「利用者が笑顔になってくれたらいいな」
という期待が、仕事をする原動力になります。それって、だめじゃないですよね。
しかし、そのせいでがっかりする時もあるそれって、だめじゃないですよね。

世の中から期待が消えたら、どんなに無味乾燥した、つまらない世の中になってしまうように思うんです。

相手に期待しはならないなんて、相手との約束もできないですもんね。


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