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青山泰の裁判リポート 第13回 なぜ2人の女性は、自宅に“放火”したのか?

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「食べている時がいちばん幸せ。お母さんのおいしいステーキとか。
お母さんから『あんたが料理すると火事にしちゃうから』と言われたけど、(知的)障害者に対する差別だと思って、(自分で)料理しようと思った」

法廷でそう証言したのは山城有里被告(仮名・41歳)。
少しウエーブがかかったおかっぱ頭で、紺と白のボーダーTシャツに紺のスラックス姿。
裁判長から「仕事は何をしていますか?」と問われて、「病院でボールを投げるのがあなたの仕事だと、母から言われました」と答えた。


お母さんの役に立ちたいのに、
一人前に扱ってくれない。


有里の罪名は、現住建造物等放火罪。
現住建造物放火とは、実際に人が住んでいる建物に放火する犯罪で、刑罰は5年以上の懲役、最高刑が死刑と規定されている重罪だ。

放火犯というと、深夜人けのない場所で連続して放火する“愉快犯”的な犯罪を想像するが、実際の動機はさまざまだ。
有里にはお母さんの役に立ちたいという思いがあったのに、一人前に扱ってくれない、という不満があった。

有里は、東京都内の一戸建てに母娘の2人暮らし。
犯行当日、母親はいつものようにガス器具のストッパーを絞めてから仕事へ出かけた。
有里はカレーピラフを作ろうと考えたが、ガス器具は使えないし、作り方も教わっていない。

コンビニでライターを買ってきて、そのまま火をつけたが、ご飯が少し焦げたくらいで、カレーピラフは作れなかった。
「ライターであぶったけど、ご飯が少し硬くなったくらい。暗い気分になった。
そして、本当に火事になっちゃって」

イライラした有里は、布団を焦がして母を困らせようとした。
しかし予想以上に火の手があがり、コップの水をかけたが勢いは衰えなかった。119番通報しようと考えたが、結局ライターをタンスの中にしまって、玄関ドアに鍵をかけて逃げ出してしまう。

煙に気づいた隣家の住民が119番通報して約1時間後に鎮火。幸いにも建物の壁や天井など約5.36㎡を消失しただけで済んだ。
逃げ出した被告人は、通っていた精神科クリニックで、6時間後に確保された。


有里は、散歩と動物が
大好きだった。


有里が幼いころ両親が離婚して、千葉県で母と2人暮らし。通信制高校を中退して、居酒屋やラーメン屋で働いたこともあるが、長くは続かなかった。

約7年前、東京都に引っ越してから、精神的には比較的安定していた。
有里は朝の散歩をするのが大好きだった。動物好きで、犬連れに「この犬は、シベリアンハスキーですか?」などと質問する姿も、近所の人たちに目撃されている。

しかし同居していた祖母が亡くなってから、精神的に不安定になった。
歯磨きができず、いつも同じ服装。生活全般の世話が大変だった、という。
毎日のように通っていた精神科クリニックでは書き取り教室や、輪投げなどをして、イライラしたら犬の絵や猫の絵を描いていた、という。

コロナ禍で施設に通えなく
なって、症状が悪化した。


コロナ禍になってフリースクールへの通学や通院が制限されると、症状が悪化。
壁を蹴って穴を開けたり、河川敷で何度も大声で叫んだり、裸で外出するなどの問題行動を起こすように。
ストレスが増すにつれて、周囲とのトラブルも増えていった。

有里は、法廷で障害者の生きづらさと不満を訴えた。
「(自宅の車庫で)サンドバッグを楽しくたたいていたら、うるさいと言われる。周りの人も悪い。(私は)人間としてちょっとしたこと、洋服を着たりすることが大変で、周りの人は分かってくれない。わかってほしいと思います」

検察官による証拠説明の途中でも、有里は腕組みをして居眠りしそうになり、必死で眠気に耐えている様子だった。

母親は供述調書で、有里の異変を訴えていた。
「精神的に不安定になると物を壊す。
事件の2週間前に、フリースクールのガラス戸を蹴り、右足を20針縫う大ケガを。カッターナイフでリストカットをしたこともあり、下半身裸で外に出たことも」
有里をたった一人で育て、支え続けた母親の苦労と心情に思いを巡らせると、胸が詰まるような気持ちになった。

有里が弁護士からの質問に答える。
「私が2歳半の時、両親が離婚した。理由はお父さんが酔って暴力を振るったから」
――小学校のときはどんなことをしていましたか? 
「国語とか社会とか地理とか算数とか体育とか。体育は得意だったんですね。見事1位を取ったり、マラソン大会で4位になったり」
――体育以外は? 
「ダメだったですね。成績はビリに近かった」

「精神的に悪くなければ、
こんな犯罪はしません」


話し始めると饒舌になり、とりとめもない話に飛躍したりした。
「中学はフリースクールに。
運動したり、部活の後にアイスを食べたり。犬の絵とか、猫の絵を描いた。
高校は卒業できなかった、辞めた。
23歳くらいのときに病院に入院した」
――入院した経緯は? 
「食事は美味しいし、チキンカレーは出るし。精神的に悪かったから。
悪くなければ、こんな犯罪はしません。大変なことをしてしまい、大変申し訳ありません」
有里は、突然、証言席の机に突っ伏して、泣き始めた。

証人として出廷した精神科医が証言した。
「4回面接して、心理検査、頭部CT、レントゲン、脳波などの検査を行った。
診断は、自閉症スペクトラム障害(ASD)、多動性障害(ADHD)、知的障害。

行動を制限されていることに不満を持ち、見返そうとして失敗し、いらだって放火。
『一人前に扱ってほしい』という不満があり、カレーピラフを作ろうとしたが、作れなかった。そのいらだちは理解できる。
ASDの人は予想外の事が苦手で、パニックになってしまうところがある。人とのかかわり、コミュニケーションに障害がある。生来的なもので、小さいときから特徴として見られる。

人の気持ちが読めない、場の雰囲気が読めない、皮肉・冗談がわからない、孤立しがち。感覚刺激に敏感。音に過敏。虫や動物が好きで詳しい。
母親は『人見知りしない子』と話していた。これも特徴的。
視線が合わない、アイコンタクトができない、など。
知能検査で測定できない。重度かといえばそうではなく、手紙をもらったが、表現がしっかりしている部分もあった。軽度の知的障害」


有里の母親は「一人では
面倒を見きれない」と。


有里の更生支援計画を立てた社会福祉士の女性が証言した。
刑事司法ソーシャルワーカーとしても活動していて、福祉的支援が必要な人の相談に乗り、福祉につながる相談の窓口となる人だ。

「本人との面会は8回、母親とも2回お会いした。
釈放後の生活について、母親は『一人では面倒を見きれない』と。
母への依存欲求が強いので、親と離れて暮らすことは有益。
施設に通えなくなって、症状が悪化した。
今後は施設で暮らすのがいいと思う」
確かにフルタイムで働いている母親にとって、精神的に不安定になった有里の言動をコントロールすることは不可能に近いだろう。

争点は責任能力。
物事の良し悪しを判断できる能力と、行動を制御できたかどうかだ。
検察官は「被告人は、建物にも燃え移るかもしれない、という認識があった。
精神障害の影響はあるが、支配されていたわけではない。完全責任能力があった」
と主張した。
「燃えやすい布団を選択して、木造の住宅密集地で、危険性が高い。動機は短絡的で身勝手。
ただ被告人には精神障害があり、これは被告に何ら責任のないこと。
本人は深く反省し、建物の所有者である母親が許している。消失面積が少ない」
検察官の求刑は懲役5年。

弁護人は精神障害の影響での心身耗弱状態を主張した。
「心身耗弱でないという証明責任は検察側にある。
証明できなければ、心神耗弱状態だったと考えるべき。
建物の所有者である母親は許していて、処罰を望んでいない」と。

「許してください。
刑務所には行きたくない」


最後に有里は、
「許してください、二度としませんと、母が面会に来た時に言いました。
刑務所には行きたくない。施設に行きたい。
裁判長さん、よろしくお願いします」
そう訴えてから、泣きながら机に顔を伏せた。

判決は懲役3年、執行猶予5年。
裁判長は
「弁護人は心神耗弱を主張したが、理由がない。未熟で衝動的な犯行だが、疾患に支配された犯行ではない。いらだちを解消しようとした身勝手な犯行ではあるが、コップの水で消火しようとしたり、引き出しにライターを入れたり、理解できる合理的な行動。
しかし障害は、自助努力ではいかんともしがたい」

執行猶予が付いた判決のときは、千葉県の施設に入居することが決まっていた。
法廷の外では、施設からの迎えの人が待機している。
執行猶予判決が下されて刑務所に入らないと分かり、母と娘が安堵した様子がとても印象的だった――。

「彼と別れ話が出て、
自殺しようと思った」


被告人席の井上沙紀(犯行当時25歳・仮名)、緊張のためか両耳が真っ赤だった。
ショートカットが可愛らしい印象の女性で、オフホワイトのスーツに黒のインナー姿。
傍らの茶色のデイパックには、赤いマスコット人形がぶら下がっていた。

沙紀の罪名も、現住建造物等放火。
高知県生まれで、大学入学時に上京して、年の離れた男性と同居した。
その後、精神的に不安定になり、希死念慮(漠然とした自殺願望)も。
自分は性風俗店に勤務するしかないと思い込むようになった。

新たな男性と交際を始めて3年後に、葛飾区の男性のマンションで同棲生活を始めた。
大学卒業後に勤めていた会社でセクハラ被害にあって退職。
その後、性風俗店で働いていたが、そのことは同棲相手には隠していた、という。

「性風俗店で働いていることが
バレた」と思い込んで……。


同棲相手と電話やLINEでの諍い(いさかい)からケンカになって、別れ話に発展。
知り合った女性に秘密を話してしまい、同棲相手に性風俗店で働いていることがバレたと勘違いして絶望した、という。

深夜、思い詰めた沙紀は一人で自殺を図ろうとして、ベッドに灯油をまき、マッチで火をつけた。
燃料を使用して少しずつ煙を出し、一酸化中毒で自殺するつもりだった、という。

しかし予想外の大きな炎に驚いて逃げ、踊り場で「ごめんなさい」と、泣きながら取り乱していた。その後、到着した警察官に犯行を告げた。
幸いにも、9㎡を消失しただけで火は消し止められた。

放火された部屋は人が住めない状態になり、建物1073万円、動産200万円の被害。
事件の概要を説明する検察官の言葉を聞きながら、沙紀はずっとハンカチで涙、鼻水をぬぐっていた。

被告人は、自殺未遂を
繰り返していた。


事実関係を認めているので、量刑が焦点になった。
検察官が意見を述べる。
「犯行は危険性が高く、悪質性もある。灯油をベッドにかけて放火、火の勢いは被告人自身が驚いて逃げ出すほど。14世帯が住む住宅地のマンションでの犯行で、幸い周囲に延焼しなかったのは住民の通報が早かったから。

自首は成立するが、自首しなくても発覚は間違いなかった。
求刑は5年。前科前歴がなく、建物所有者との示談が成立している」
検察官の求刑を聞く沙紀は、遠くを見つめるような眼差しで、感情がとても平たんな様子に見えた。

弁護人が意見を述べる。
「被告人はうつ状態、パニック障害と診断されて入院を勧められていた。
首吊り、飛び降り、服薬などの自殺未遂を繰り返していた。
絶望しての衝動的な犯行であり、自殺が目的だった。
大学入学後に心の病になり、卒業2年後の犯行。まだ25歳の若さだった。

被害者の同棲相手も処罰感情がなく、『寛大な処罰を求める。社会復帰を応援したい』と。
5か月間の拘留で、実質的な処罰を受けている」

最後に、沙紀が証言台で意見を述べた。
「最初は(自殺を図って)命が助かると、どうして責められるのだろうと思っていました。
でも今は、親からもらった大切な命や体を大切にできなかったと反省しています。
自殺に対する意識は大きく変わったと思っています」と。

「あの事件で、私は一度死んで
生き返ったと思っています」


「幸いにも生き残ることができました。
あの事件で、私は一度死んで生き返った、と思っています。
これからは両親に相談できるようになろうと思います。
被害者の方にはもちろん、裁判所にいるすべての人にもお礼を言い、謝罪したいと思います。
事件に真摯に向き合い、一生償っていきたいと思っています」
沙紀は、涙ながらに、現在の心情を吐露した。

判決の日。
被告人は、法廷に入ってきたときから目に涙を溜めている。
感情がこみ上げている様子だった。

判決は懲役3年、執行猶予4年。
裁判官は「精神疾患があり、今回の事件の原因となった。
同棲相手との関係については、両親ともよく相談すること」

「更生の機会を与えていただいて、本当にありがとうございました」
沙紀は、裁判官に向かって、深く一礼した――。

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