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親父とオカンとオレ 11 〜ラフティング中編〜

前回の続きを書こうと思う。

 25歳になろうとしていた。一時はプロのトライアスリートになりたいと、オーストラリアまで行き、夢破れ。
 諦めて、帰ってきた徳島で、今度は大工になろうとしたが、現実は厳しかった。

 ハローワークに通いだした。無数にある求人だが、自分のやりたい仕事はなかなか見つけられなかった。 
 そもそも次の仕事をやれるような精神状態ではなかった。

 何もしない日々が続いて、夕日が沈む瞬間を部屋で何度も見たりした。

 梅雨が明け、夏が始まろうとしている頃に「ラフティングツアー」という会社の求人が気になり、面接を申し込んだ。

 大歩危峡という断崖絶壁の渓谷にその会社はあった。吉野川の激流が何億年とかけてつくりあげた場所だという。

 家から車で2時間かけてたどり着いたその場所は、引きこもりがちだった、僕にパワーをくれる気がした。

 ゴムボートにお客様を乗せて川をくだるのが仕事だという。
 春から秋にかけて営業しており、これから夏に向けてが一番忙しくなるらしい。

 若くて筋肉ムキムキの社長が説明してくれた。

 働きたいが、家から通うのはちょっと遠すぎることを伝えると
「ボロい空家で、いいならあるよ」
と社長が近くに住む家を紹介してくれた。

 社長をはじめ、そこには若い男女5人が働いていて、ラフティングというスポーツを楽しんで仕事にしていた。

 給料は安かったが、田舎で生活するには、充分であった。

 過疎化が進む山奥の村に若者や外国人が集まって住むようになっていた。
 たびたび、お酒やツマミを持ち寄って互いの家で、ホームパーティをして盛り上がった。

 ある夜、バーベキューを河原でやって、酔った勢いで、裸になり、激流に飛び込んで溺れかけたこともある。


 朝一番、6人乗りのゴムボートをトラックに乗せ、お客さんと一緒にバスで川の上流へ向かう。
 バスの中でボートから落ちた時の対処法を説明して、いざスタート地点へ。

 最初は、流れの穏やかな所で、オールの使い方を練習する。
 慣れてきたらボートを、わざとひっくり返し、落ちた時の、救助訓練をしながら、激流スポットに備える。

 吉野川には瀬と呼ばれる、流れの急なところがたくさんあるが、特に激しい場所が3つあり、名前をつけていた。

 「三段の瀬」その中でも一番攻略が難しいと言われる激流スポットは、このラフティングコースの見せ場であった。

「皆さーん、この先がクライマックスです。この先に3つ、大きな瀬があります。1つ目でボートから落ちると危ないですよ〜」

とお客を脅してから、ボートを瀬に角度をつけて入っていき
「ザブンッ」
と滝から、滑りお落ちるような感覚で、1つ目をくだる。

 さらにボートの進む角度を変えて2つ目。
「ザッブーン」

最後は急転直下の1番大きな瀬で、ここは加速して乗り越えないとひっくり返ってしまう。

「皆さ〜ん、オールを持って漕ぎまーす!」
速度と角度を調整し、瀬に入る直前で漕ぐのをやめさせ
「体を中に入れて、屈んで〜」

みんなはキャーー、と絶叫しながら
「バッシャーン」
2メートルは、ある滝を一気にくだり終えると、オールを突き上げ、みんなでハイタッチをした。

今回はここまで、この続きは16話に書くことにする(12〜15話は旅の話をすでに書き終わっているため)

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