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類友と近親憎悪

人は「類は友を呼ぶ」という、似てるものが好きになるという傾向と、「近親憎悪」という、近いものに対するやだなってという感覚と、2つの側面を持ってると思います。

もうDeepLなどの翻訳機能向上のおかげですっかりと英文を書く気力を失ってる昨今ですが、それでもやっぱりこうした散文をブログにアップするときには、英文で出したほうが自分としては心地よい感じがします。

いまこのnoteには日本語でアップしていますが、この日本語で自分の文章を読むと心地悪い感じがなんかするんです。別に近親を憎悪しているわけではないのですが、でも心地悪いというのはそういうことかなと。

でも、この自分の思いが乗っかっている文章が英語になると、そこに自分からの距離感が感じられてそれが適度に心地いいって感じです。

でも、たとえばそのぼくが書いた文章にとても共感してくれる人がいたとしたらそれは僕としてはとても嬉しいです。「ですよね、ですよね」という感じ。これは近親憎悪とは逆に「類友」の感覚です。

その2つの相反する感覚が常に共存してるという感じ。不思議ですね。

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