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サイレント・ノーマスクのすすめ

はじめに:マスクはいつまで。。

これから冬になるにつれて、またコロナの第?波が来るという予測もありますし、実際にすこしづつ感染者数は増えているようです。

でもそんななか徐々にではありますが、日本でも「マスクをいつまでしてるんだ」という疑念を持つ人も増え始めてるような気がします。実際に政府や岸田首相も「マスク、屋外では基本的に着用の必要なし」と伝えてくれていますが、それでも街では大多数の人々がマスクをしている状況ですね。

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マスクは各自、マイルールで

2020年はじめ頃、コロナ禍が世界に広がってからしばらく経っていますが、その間、僕は屋外で一人でいる時、ほぼマスクをしていません。(渋谷のスクランブル交差点を通ったときはマスクつけました)

それは当初から下記のようなマイルールを定めて、それにのっとって行動している結果、そうなっただけのことです。

  • 屋外で一人で喋らないでいる場合は、マスクの必要はないだろう。

  • 屋内は屋外に比べて換気が良くないので、基本的につけたほうが無難だろう。

  • 公共機関や商業施設を利用する場合はサービス受給者なのだから、その機関が定めたルールにあわせるべきだろう。

もう、これから将来はずっとマスクを付ける生活をするべきだ、という人がいます。反対に、マスクは茶番だ、とにかく屋内でも屋外でもノーマスクだ、という人も知っています。

どちらも否定はしません。周りからの影響であれ、自分の信念であれ、その人がやりたいようにやればよいと思っています。

たとえば、上のマイルールの欠点は、マスクを頻繁につけたり外したりしなければならないこと。でも僕はその手間をもってしても外ではマスクを外したい。外でマスクを付けなくてもいいと言われても、つけたり外したりが手間なので、ずっとつけているという人もいると思います。

マスクをするべきかしないべきか、マスクが感染についてどれほどの抑制効果があるのかないのか。これらについては世界中で議論していても、結局のところ結論がでていないですし、ここでもその是非について議論するつもりはありません。

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接触感染と空気感染の割合が知りたい

コロナ禍がはじまってあちこちでいろいろな実証研究がなされました。

有名なところでは、スパコンを利用した飛沫の飛散状況のシミュレーションなどがありましたね。マスクをしているかしていないかで、どれだけ対面の人が飛沫を浴びているか、また横並びのときにはどうなのか。そんなようなことが、連日テレビなどで放送されていたような気がします。

でも重要なのは、飛沫がどれだけ飛んだかではなくて、どれだけ感染したかなのではないか。。

感染経路としてあげられている、接触感染、空気感染、エアロゾル感染などのうち、どの感染経路でどれだけの割合が実際に感染したのか、というデータを僕は見たことがありません。もしあればぜひ教えていただきたいです。

で、僕はひとつ仮説をもっていまして、感染経路のほとんどが接触感染で、空気感染はごく少数といった割合なんじゃないか、ということ。

クラスターが多く発生した場所、家庭内だったり、学校だったり、老人ホームだったり。ドアノブだったり、食器だったり、どこも接触感染が免れないところが多いような気がします。

コロナ禍以前は、コロナとは比べ物にならないくらい、毎年インフルエンザが大流行していました。もし、空気感染の割合が大きい場合、病院内のお医者さんだったり、飲食店の店員さんのインフルエンザ感染がもっと劇的に増えていないとおかしいような気がしています。インフルエンザ大流行のために医師不足で病院閉鎖、店員不足で飲食店閉鎖など。でも実際にはそうしたことは起きたことがなかったように思います。

医者はマスクを常時していますが、飲食店の店員はそうではありませんでした。ただ両者に共通しているのは、習慣的な手洗い、手指の消毒です。日本人は比較的真面目なので、飲食店でもある程度徹底されている。それが功を奏していたのではないか。

もし、空気感染の割合が少ない場合、そこまでマスクに固執するのもどうなのか。。

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結論:サイレント・ノーマスクのすすめ

僕は自分のなかで定めたルールで、日常のマスクの扱いを定めたい。かといって、他の人にそれが正しいと声高に主張したいわけではないし、無駄に論争をしかけたいわけでは決してありません。

実際のところ、これまで屋外でノーマスクで過ごしてきて、街で露骨に嫌な顔をされたり、マスクをつけろと脅されたりだとか、そういうことをされたことがありません。

日本人はひと目を気にしてマスクをしがちだ、ということもあるのでしょうが、実際のところ、人は他人にそれほど興味がない、ということではないかと思います。

SNSやメディアで、声高にノーマスクを主張するのは、マスクに効果があると思っている人の神経を逆撫でるという意味では、実は悪手。そうではなくて逆に、マスクは思ったほど必要なさそうだ、という一人ひとりが、静かにマスクを外す日常を送るのがもっともマスク社会が終焉する近道なのではないでしょうか?

約2年半の経験のなかで、「僕にとって」過剰だと思えるマスク社会への一番の対処法はこの「サイレント・ノーマスク」というのが、いまの僕がたどり着いている結論です。

ただし、この主張を広く伝えるために、ここで一度だけサイレントのルールを破る必要がある。。それがこの投稿です。

みなさんが引き続き、心身ともにすこやかに過ごせますように。

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