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自己紹介

みなさん初めまして。
仲矢 靖央(なかや やすお)と申します。
まずは自己紹介をさせて下さい。

現在は神奈川県を拠点にビーチバレーボールのコーチをしています。
出身は大阪です。
中学からバレーボールを始め、高校、大学とバレーボールをしていました。
【瑞光中学→大阪学院大学高校→立命館大学】

小学生時代、漫画『スラムダンク』にハマり、中学生になったらバスケットボール部に入ると強く誓い、いざ入学してみるとバスケットボール部は無く、流れでバレーボール部に入り気が付いたらこんなに長く続けることになっていました。

当時の自分は本当にダメなやつだったので、中学時代のバレーボール部の顧問の先生じゃなければきっと続かなかったと思います。
優しく見守ってくださってありがとうございました。笑
最近よく見聞きする育成や指導のあり方についてもいつか書くことが出来たらなと思っています。

ビーチバレーボールに出会ったのは大学時代でした。
現在の大学男女選手権大会は当時『ぴあカップ』と呼ばれていました。
夏休みに兵庫県の須磨海水浴場で開催されていました。
一年生だった自分は補助役員としてぴあカップに駆り出されていました。大学の先輩方が大会に出場していたので仕事の合間に応援していた記憶があります。
バブルの名残があったので大会優勝賞金は確か50万円だったと思います。

その大会で優勝したのが北京、ロンドンそして東京オリンピックにも出場した白鳥選手です!
大学の先輩ペアが準決勝で白鳥選手(東海大学)と戦いマッチポイントを握っていたのですが逆転負けしてしまったのです。
当時はサイドアウト制だったので、マッチポイントになってからの粘りが凄かったです。
今思い出しても母校が負けたのは残念だけど、レジェンドの歴史はここから紡がれていたのですね。

そして、その年のエキシビションマッチが高尾和行選手・陽成太選手・瀬戸山正二選手・渡辺聡選手でした。
ビーチバレーボールのことを何も知らない自分はすごさも巧さもあまり分からずでしたが、渡辺選手が2人しかいないのによくブロック止めるな〜とか高尾選手がスカイサーブや見たことないプレーをしていた記憶があります。
まさかこの当時この選手達と関われることになるとは思いもしていませんでしたが。

少し思い出話が長くなってしまいましたね。
自分がビーチバレーボールを始めたのは2004年、24歳の夏でした。
競技生活のスタートは少し遅かったです。
2004年から始めたと言ってもその年はビーチバレージャパンに奈良県で出場する2週間前から少し練習した程度でした。
奈良県予選に出たいけどペアがいないから仲矢どう?という話をほぼほぼ素人の自分にいただき「出ます!」とそこから自分のビーチバレーボール生活がスタートしたのです。

2004年から2016年まで選手として活動させていただきました。
インドア時代には達成できなかった国内大会優勝や国際大会にも挑戦することができました。
2017年にコーチとしての話をいただき、現役を続けるかどうか悩みましたが、コーチの道を歩み出し現在に至ります。

コーチとしては本当に未熟ですが、選手と共に日本が世界で戦い世界で勝つという目標に日々トライ&エラーを繰り返しています。
その日々の中で、自分のイメージや考え、感覚を言語化して選手に伝えたり。
選手のプレーや行動、言葉からどのように考えプレーしようとしているのか理解したりと。
ビーチバレーボールの技術や戦術を勉強することも勿論ですが、コミュニケーションも大切なツールのひとつだと感じています。

ここではビーチバレーボール・バレーボールに関する自分の思考を整理したり、まとまらないことを羅列したり、感覚を言語化したり、学びをアウトプットすることにチャレンジしたいと思ってます!

最後まで読んでいただきありがとうございます!
ビーチバレーボール研究所をよろしくお願いいたします!

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