見出し画像

第1回2000年在宅医療専門クリニックを開業

私は介護保険法が施行された2000年に四国初の在宅医療専門クリニックとしてたんぽぽクリニックを開業しました。外来も入院も持たない在宅医療だけに特化した在宅専門クリニックは当時は、まだ日本にも大都市にしか存在せず、希有な存在でした。その時、私はまだ弱冠34歳の時で、へき地医療を数年行い、在宅医療の楽しさとやりがい、そして、日本では高齢化率が世界一となり、介護保険法もはじまり、これから高齢者をどのように介護し、社会保障問題をどう解決していくかという幕開けの時代でした。


在宅医療専門クリニックを開業しようと決意した時、医学部の仲の良かった同級生数名と一緒に飲みに行き、相談したことを今でも憶えています。私はこう話しました。「在宅医療は実際にやってみて、自分自身はとてもおもしろく興味深いし、患者さんにも喜ばれると思う。そして、時代も在宅医療を求めていて、これから医療や社会の中で重要になり、必要とされる医療だと思う。そして、在宅医療はこれまでのように、外来医療や入院医療の片手間で行われるのではなく、在宅医療に特化して行われるべきだと思う。それは、特化しないとできないことがあるからだ。在宅医療専門クリニックの存在がそれぞれの地域の在宅医療の在り方を指し示し、質を上げていくと思うんだ。」それを聞いていた友人達は皆、在宅医療の重要性は理解し、チャレンジしてみてはどうかと私を後押ししてくれました。しかし、その後、私は、こう続けました。「在宅医療専門クリニックを開業し、在宅医療を行っていくことに何の迷いもないが、一つだけ自分の中で心配していることがある。それは、生涯にわたって、在宅医療だけを専門にしていって、自分の医師としてのやりがいを満たされるかどうかだ。でもそれはやってみないとわからないなあ。」


その後、たんぽぽクリニックとして開業して今年で20年が経ちます。患者ゼロから、職員3人で小さな事務所を借り、車1台買って始めたたんぽぽクリニックでしたが、現在は職員100人の多職種のチームを有し、外来、有床診療所も持ち、70km離れた過疎地のへき地診療所も運営しています。先を走る人がいない在宅医療のフロントランナーとして、突っ走ってきた20年間でしたが、3年後はおろか1年先はどうなっているかもわからない中、患者数も職員数も右肩あがりで、失敗と立ち直りを繰り返しながら、組織を作ってきました。地域のニーズはどの辺りがプラトーなのだろうとずっと考えていましたが、今ではプラトーがないことに気がつきました。在宅医療のレベルが上がると地域のニーズが上がるのです。振り返ると、開業前の私は在宅医療だけをやっていたら医師としてのやりがいがないのではないかと危惧していたいましたが、そんなことを考える間もなく、常に新しいことにチャレンジしてきた20年間だったと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?