なぜ僕はビールを造っているのか

以前に『なぜ奈良なのか?』について書いたのですが、そもそも『なぜビールなのか?』について今回はお話することにします。この2つの問いに対する答えがあって、はじめて『なぜ僕が奈良でビールを造っているのか』が浮き彫りになると思うので。

で、改めて自分に問い直してみました。僕はなぜ、ビール造りをしたいと思ったんだろう。

自分に何回もの『なぜ?』を畳み掛け、たどり着いた先にあった答えは、『クラフトビールを取り巻く世界が創造的で刺激に溢れていて、自分もそこに身を置いたら絶対楽しいはず、と思ったから』でした。そして、これは今でも思っているわけですが。

クラフトビールの歴史がどこからスタートを切ったのか、人によって様々な意見はあろうかと思います。ただ、地ビール解禁から数えても30年弱。クラフトビール発祥の地アメリカでも、1965年にフリッツ・メイタグが閉鎖寸前のアンカー・ブリューイング社を購入して再興したときまで遡ったとしても55年、現代のホップブームの原点とも言うべきシエラネバダ社のペールエールがリリースされてからたかだか40年しか経っていません。

そのアメリカではクラフトビールは大手の画一的なビールに対するアンチテーゼとしての側面があることから、サブカルチャーとの親和性が強く、クラフトビールを取り巻く環境は単なるものづくりの枠に収まりきらない非常にダイナミックでかつ、刺激的なものだったりします。

僕自身、ふとした偶然から手にとったビールが、これまで飲んできたビールと全然違った味わいであったことに衝撃を受けたことがきっかけでクラフトビールに興味を持つようになりました(同じような衝撃を受けた人は少なくない数いるのではないでしょうか)。で、そこからクラフトビールを知るほどに、さらに興味が拡がっていく、ということで手当り次第、片っ端から気になることに手を伸ばしていきました。

ただ、完結した歴史を読み直すのとは違って、リアルタイムで新しいことが次々に起きているため、終わりがありません。固まった評価すらない場合だってあります。ただ、新しいカルチャーのような何かが生まれている現場に立ち会っているのではないか、そしてそんな瞬間に居合わせることはめったにないことで、もしかしたら自分は今すごいことを垣間見ているのではないか、という高揚した感覚はとてもよく覚えています。

そしてできることなら、その場に身を置くだけではなく生み出す側としてこのムーブメントに加わりたい、と思うようになりました。それもビールを造る人として。

そこで、ビール造りを一から勉強することにしました。

他のお酒に比べてビール造りは非常に自由度が高いこともあり、創造の余地は無限に拡がっているといっても過言ではありません。そんな中、ブルワーは常に何か新しいことをしてやろうと野心的な挑戦を続けているのですが、その緊張感はたまらなくいいものです。ただ、どこかで他人を出し抜いてやろうというような危うい緊張感はあまりなく、造り手どうしの情報交換がとてもオープンなところもまた、歴史が浅く、若い人たちが集まっているからこそのことかもしれません。

僕自身は、醸造はレシピも含めて、オープンソースだと思っています。ブルワー同士の間で、訊かれたら知っていることは何でも話しますし、僕も割と遠慮なく訊いています。それって、いいものを造ろうぜ!という大きなベクトルを共有できているからこそなせることでしょう。

また一方で誤解を恐れずに言えば、ビールを造ることはブルワーだけではなし得ないものです。ブルワーはビールという液体は造りますが、それに名前をつけて、デザインをつけて、パッケージをデザインして、とたくさんの人が『奈良醸造』の名の下に知恵と力を出し合って、ようやく世の中に出ていくものになります。じぶんひとりではないこの工程、歯車がきっちりと噛み合って仕事ができたときはとても気持ちのよいもので、実は僕自身、そういう点でもビール造りが好きだったりするのです。

毎日のビール造りは肉体労働も多く、華やかさとは無縁の世界ですが、そんな世界につながっていると思いながらビールの樽詰めをしていると、20kgを超える樽を運ぶときにも、なんだか力が湧いてくるような気がするものです。と、そんなことを言いながら、今日樽詰めしたばかりの僕の左腕はプルプルになっていたりするのですが。

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