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子ども達には自由にやらせたい

事業継承。この数年よく目耳にする言葉だ。
法人化しているわけではないのだが、我が家も一つの事業をやっていると言って良いだろう。

私も、いずれは農業を継承することを考えたことはある。けれど、我が子に農業をさせたいとは思わず、やりたいこと、生きたい生き方をしてもらいたいと願っている。

そう願うのは私の人生も関係している。
というのも、私は、幼い頃に親戚などから農家を継げ、土地や家、墓を守れと言われながら育った。農家の長男あるあるだろう。今思えばなんてことはないのだが、幼い時分には自分の周りが全てに見えるから、嫌でたまらなかったことを覚えている。
だから、ずっと親戚が嫌いで反発ばかりした。結局今は農家なんだけれど、言われたとおりに生きたくなかったから、絶対農家になんかならないと言って生きていた。大学に行けと言われれば、絶対いかねーと専門学校にいくと言い張った。

小学生の頃からそんな押し問答があった。そして、中学生になるかならないかくらいの頃、将来のことを、またあーだこーだと言われて、何故か公務員になると言ってしまった。親戚を黙らせるために、認めさせるためにでた言葉だろう。啖呵をきってしまった。
そう言ってしまったから、その時に私の進路は決まった。高校→専門学校→公務員。まぁ、途中まではその通り生きた。公務員は少しエリートに感じられた裁判所を志望した。結果、面接で落ちてしまったんですが…。

でも不思議と、落ちたショックはあったけれど、ホッとした自分もいた。

そこから、アレコレあって数年後に農家になることにした。正直、胸を張れるような経歴や学歴もないし、やりたいことをやってきたわけでもない。
そう生きるために、我慢もしたし夢も持てなかったし自分で自分のことがわからなくなっていた。自分で敷いたレールだけれど、そのレールはポジティブなものではなかったからだろう。何が好きで何がしたいかとか…、今思い返すと辛い。ただ、友達と遊ぶことが楽しかったことだけは救いだった。

子ども達にはそんな辛い想いはさせたくない。だから、農家をしろとも何になりなさいとも言わない。自分で色んな物を見て、経験して生きたい道を行ってほしい。結果として農家を選ぶならそれもありだろう。

でも、楽しい友達との思い出はあるし、元々農家が嫌だったわけじゃない。あまりにも言われて、自由を奪われているような感じが嫌だったのだろう。ずーっと昔の記憶だ。

つらつらと考えつくままに書いてきたが、今は、特に後悔はしていない。それはそれで、自分なりの経験をしてきた。それに今は、少しずつ胡瓜栽培も上達してきて楽しさもあるし理想もある。まだまだ良い農業人生を歩むために働きたい。心からそう思えることが心地よい。


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