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先日、28歳になりました。〜ニュートラルになり過ぎると人を動かせない〜

20歳になった2006年4月から今年の誕生日の8年間において、なんとぴったり海外生活が4年となった。8年間の半分になる。米国カリフォルニアに10ヶ月、オーストラリアに1年3ヶ月、中国に1年10ヶ月、アジアバックパック旅行+中国短期留学の1ヶ月を合わせるとぴったり綺麗に4年。要するに、成人してから28歳になった今までちょうど半分は海外で生活していたということ。20歳くらいまでずっと日本でそれ以降、全部海外というやつはいるかもしれないが、半々というのは少ない。しかも色々な国にちょくちょくと。環境は人を作るというが、私の場合、いろいろな環境に揉まれて一般的ではない人間になっている可能性が高い。

ちなみに、大学からアメリカに進学してその後もずっとアメリカという人は結構多い。中国も。そういう人って高校卒業時に海外に進学するからという理由でチヤホヤされるけど、その後パッとしない人が多い。(もちろんパッとする人もいるが。)これは20歳以降に海外にいったやつに限らず、小中学校時代とかを海外で過ごした帰国子女なんかにも言える。昔は帰国子女に憧れたが、今の彼らをみるとその中途半端さに憂いを感じるほどだ。何故彼らはパッとしないのだろうか。(ちなみにパッとしないというのは、社会に影響与えるようなことをしていない、ということを言う。外資系企業で高給取りでもパッとしないのはパッとしない。)

それは、ベタな話になるが、軸がなくなるから、であると思う。人間社会は人間が考えて勝手に作ったものであり、自然との直接のリンクはない。どういうことかというと、植物にとって二酸化炭素が重要というのは自然そのものであるが、人間社会にとって、例えば「目上の人を敬う」とかいうのは重要だが、「自然」とは繋がっていない。状況が変われば、その重要度も変わる。人間社会の善悪は日々変わっている。

それと軸がどうか関わるかというと、日本のこともアメリカのことも深く理解していない場合、どっちの国の人からも支持されなくなる可能性が高い。深く理解というのは、細かいフィーリングや言語力だけでなく、各国に根ざしたあるあるネタやトリビア、同世代の共通意識の理解、共に経験した同じ国の時代感、などなどあらゆることが含まれる。

帰国子女とか大学から海外の人は、傾向としてどんな価値観も受け入れます的なニュートラルすぎる人が多い。世界は1つ、誰とでも友達!みたいな。そういう人は一見、寛容的でいい感じに見えるが、深く刺さるコミュニケーションをどの国の人ともとりずらい。(ただし、世界は1つ!みたいな意識が半端ない場合は大化けする可能性はある。)やはり自国での豊富な経験が豊富な表現や言語化を生み出す。

社会に影響を与えるためには、多くの人を惹きつける必要があるが、まずは、1つの国の国民が対象であるはずだ。いきなり世界へというのは現実的でない。日本なら日本国民に支持してもらうためには、やはり繊細な日本的感覚を理解した上で、大きなビジョンを語る必要がある。帰国子女は大きなビジョンは得意かもしれないが表現方法が単一的になりがち。私は20歳までは日本だったしその後も1〜2年ごとに海外と日本にいるので、根っからの日本人であるが、海外も分かっている。この辺をちゃんと意識して、何かクリエイトしていきたい。

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