ちゃお氏の反証記事への応答
こんばんは。Sagishiです。
先日、YOASOBI『アイドル』について記事を書きましたが、下記のような反証記事があることを教えていただきました。
こういうカウンターが来るというのは、本当に素晴らしいと思います。このような批評はどんどんやるべきという立場なので、とても好意的に受け取っています。
ただ、色々と上記の文章には誤認があるようですので、追加的な記事としてわたしからも反証をさせていただきます。
1 rhyme schemeについて
「smile」「side」「lies」でrhymeされていると仰っていますね。これはつまり、下記のようなスタイルでrhymeされているという主張のようです。
しかしこれは一般的にrhymeとは言えません。単純に、おそらくinternal rhymeの存在や、rhyme schemeをご理解いただいていないのだと思います。
rhymeというのは『小節末』で行われるのが基本であり、そのパターンたるrhyme schemeも、AABB、ABAB、AABA、ABACなど定式化されています。
他方で上記の「smile」「side」「side」のような小節の途中でなされるrhymeは、internal rhyme(行中韻)と呼ばれ、小節末のrhymeとは区別されます。
例えば、internal rhymeの妙手として名高いRakimに次にような歌詞があります。見ての通り、internal rhymeと小節末のrhymeは別個にコントロールされています。
もちろんHIPHOPには小節末を使わなかったり小節をまたいだりするテクニカルなrhymeも存在しますが、それはラッパーのスキルの証明の表現として行われるのであって、一般的なPOPSに現れることは珍しいです。
日本語は自由な位置にイントネーション句が現れてしまうので、自由な位置でrhymeをしがちです。しかし英語においては、rhymeはどこでしないといけないのか、またどこでできるのか、どういうスキームでペアになるのか、というのが定式化されおおむね決まっています。
「smile」「side」「side」「lies」は、小節末で定式的に踏むというルールを逸脱しており、一般的にrhymeであるとは認められません。
2 forced rhymeについて
EminemがOrangeでrhymeをしているのだから、わたしが書いた『英語のrhymeの成立条件にストレス音節の母音の一致が必要』というルールは、間違っているというご指摘ですね。
これはすごい無理のある主張ですね。そもそも『英語のrhymeの成立条件にストレス音節の母音の一致が必要』というのはわたしが勝手に言っていることではなくて、rhymeとしての常識です。
というか、Eminemがやっていることは「forced rhyme」と呼ばれるものになります。本来なら別の扱いになる母音同士を、発音を曲げて似た音として発声する、それにより成立するrhymeのことを差します。ストレス音節を曲げるのも同様です。
Eminemの代表曲『Lose Yourself』冒頭の「arms are heavy/mom's spaghetti」も、arms[άɚmz]とmom's[mάmz]による「forced rhyme」です。これはわたしがそう思うとかの話ではなく、Paul Edwards『How to Rap』(2009年)にも書かれているラップの基本的技術です。日本語訳版だとP105にその記載があります。
要するに、Eminemはラップの技術として「forced rhyme」を活用しているだけで、これをもって『英語のrhymeの成立条件にストレス音節の母音の一致が必要』という基本的なルールが覆されることはないです。
3 語感踏みと響きの定量化について
ここは正直、反証することもないのかなとは思いましたが、いちおう色々と触れておきます。
実際に曲を聴きましたが、語感じゃなくて普通のrhymeですね。文字で見たら踏んでない感がありますが、楽曲の発音上では普通にrhymeしていますので、この例をあげて語感踏みだとはいえないです。
次の文章はちょっといただけないですね。
あと定量化については、ある程度の根拠をもってできることを、わたしの『日本語の押韻論:母音中心主義の問題と押韻の本質』という記事で紹介しています。
これはそりゃその通りという感じで、イギリス英語だと「arms/mom's」は基本的にrhyme関係になりますが、アメリカ英語だとならない、だからアメリカ英語では発音を曲げる必要がある。そしてその基準は発音に依拠しているわけで、どういう発音が現地で一般的にされているのかが重要です。楽曲であれば、基準は楽曲中の発音です。
何かわたしが恣意的なrhymeの定義の運用をしているように見えているようですが、押韻に関して、わたしは統計的に証明されていないことや仮説を書くことはありますが、根拠のない恣意的なことは書きません。
4 メロディとラップについて
わたしが言っている「ビートではなくメロディに合わせてラップしようとしている」というのは、メロディに乗せてラップすること、つまりメロディアスなラップという意味ではありません。
これは完全に予想外の意見でしたが、わたしの「ビートではなくメロディに合わせてラップしようとしている」というのは、メロディが鳴っている位置に合わせてラップしようとしている、という意味です。
つまりビートが鳴っているのに、ビートを無視してメロディの位置に揃えるようにラップしていませんか?という指摘です。メロディアスなラップを否定している意見では全然ないです。
例にあげているものも聴きましたが、ちゃんとメロディアスでありながら、ビートには乗せていますね。ビートに乗せてないことが問題です。ちなみにビートに乗れていないのはもうどう聴いても明らかなので、そこは首を縦に振っていただきたいなと思います。
5 跋文
まぁ、このように色々と意見をいただくのは本当に良いことだと思っています。まさにこのようなカウンターや応酬、やり取りこそ、文化芸術のちからの源泉だとわたしは思います。
わたしもよく間違えますし、いまの考えに至るまでに多くのひとの知恵が活かされています。指摘されないと分からないこともたくさんあります。まぁ特に文章は結構キツイと指摘されたので、マイルドに変えました。noteぐらい自由に書いてもいいでしょというわたしの甘い考えが、掣肘をくらったかたちです。
まぁ指摘の氏は、「韻(ひいては音楽)に対して窮屈な思想を持ってほしくない」と書いていますが、それは深く同意します。わたしはわたしの理念や目的があって色々と書いていますが、それを参考にどう考えるかは各人の自由です。
ただ英語に関しては、基本的なこと以外は書いていないことを理解いただければと思います。アメリカとイギリスでヒットチャートに乗るような楽曲は、ジャンル問わずみんな歌詞全体でrhymeしていますので、これが表現にとって窮屈になる、その影響を与えるということには一般的にそうならないのだと、ぜひご理解いただければと思います。
詩を書くひと。押韻の研究とかをしてる。(@sagishi0) https://yasumi-sha.booth.pm/