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娘に諭されました

昨日、話をした三女は、隣に座ってきたりしては、いつも以上になんだかんだと話かけてきてくれる様子でした。

言葉は少ない人なので、つーんと構えているような雰囲気がある子ですが、心がほぐれて笑うと、めちゃかわいいです。

きちんと話をするということが、本当に大事だと改めて実感しました。

子育ては自分育てだといわれますが、本当にそのとおりで、自分が至っていないこと、または逃げていることに、どうしても向き合わざるを得ないようになっているものだな、、と思います。

恥ずかしいなと思うところはたくさんあって、ここにも書けないこともたくさんあります。

そんな中で、最近あった忘れられないことのひとつなのですが、長女に諭されることがありました。

「ママ。私がママにあまり相談をしない理由ってわかる?」と言われてしまったんです。

私は、自分では、困ることがあったら、人に話をされるタイプだと思ってしまっていました。

娘にそのように言われて、ショックというよりは、ええ。。!と本当に驚いてしまったんです。

「わからない。なんで相談しないの?」と聞きました。


娘は、「ただ、話を聞いてほしいという気持ちなのよ。受け止めきれないものが心にある。どうしようもないから、それについて、わかってほしい。と思っている状態。

その時に、こうしたらいいんじゃない?というアドバイスはいらないし、自分でも、どうしたらいいかも考えているから、それはわかっているんよ。


正論がほしいのではなく、どうしても受け止めきれない気持ちについて、ただ、今は黙って聞いてほしい。理解してほしい。そういう時なのよ。だから待ってほしい。」と言われました。


・・反省しました。


出来事に対して、どう捉えるかは心の持ちようだと思って、それを伝えたいとして、そこに力が入ってしまっていました。


娘に対して、長く、ぐずぐずと思ったりするのは余計によくない状態になるだろうと思っていて、解決策を言いたい気持ちがまさっていました。


娘が受け入れられなかった出来事に、すでに疲弊してしまっていたのに、そんな心の状態を感じるアンテナも低くなっていたと思いました。

いろんな人や事柄もある世の中で、本当に理不尽なこともあります。


感受する分量だけ、人に対する寛容さも身につけていないと、生きづらいものになります。


娘は若いので、人に対する寛容さや、または、人と正面から向き合うことについて、今から身につけていくものだと思います。


私は、娘の思いより、自分の思いのほうが先行してしまっていました。


ここについても、「相手を信じる」ことができているのかを、私が、突きつけられた出来事だったと思います。


娘に、回復する力があり、解決していく力があることを信じられていませんでした。

私はこの場では、彼女の今を、心から、理解しようとするだけでよかったのでした。

ここについては、まだまだ足りていないように感じていますので、理解を深めます。

それにしても、、心を開いて話をしてもらえること。
とても大事ですね。

娘から諭され、気づかせてもらいました。

それでは、、今日はここまでです。







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