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自然体と自然の違い

今日から2泊、合宿に行ってきます。

決めないとならないことなどあったのですが、新幹線の中では仕事が捗りました。

合宿の中身は敢えて知らされていないのですが、「自の回復」に尽き、濃度のある内容になると理解しています。

自とは、私たちが本来持ち合わせている自性であり、本性、仏性ともいわれています。


先日、個人的に仲良くさせてもらっている友人とオンラインでやりとりしていました。

彼女は感性が細やかで、話をしていてもなるほどな。。と思うことがたくさんあり勉強になります。

今回も、面白いなと思ったのは、「自然体な人というのと自然な人というのはまた違うなと思っていて。自然体な人というのは、隠し立てはないのだけど、素ではないというか。自然な人というのは、隠し立てもないし、素であって、落ちつく人」と言っていました。


何を言わんとしているかがよくわかる気がしました。
「魂ってあるけれど、魂には鬼がついているでしょう。魂から鬼をとって綺麗にしたのが、私たちの本来の心である自であり自性なんやね」と話をすると、「なるほど!」と言われていました。

表裏が少なく、隠し立てがない人というのは、素直で正直だし、こうあるべしでガチガチになっていなくて、自由で魅力があります。

よいもよくないも現れやすく、よくないところも直しやすいですよね。

隠しだてをことが上手くなってしまうとあまりよくなくて、違和感を人に与えてしまうことになります。

やり過ぎてしまうと、解離性の二重人格を引き起こしていまいます。

私も、会社勤めをしていた頃、この二重人格を引き起こしていました。

どうせ、わかってしまうのだから、無理をして取り繕ったりせず、等身大の自分でいることは大事なことだなと思います。


出来る自分を演出するより、不出来の自分を出したりきちんと謝っていくほうが、人に信頼や安心を与えることになるのだなと思うようになりました。


成長していくということを前提に、今の自分をそのままに現すことは自分にとっても、まわりの人にとっても、よいことしかないなと感じています。

変に隠し立てをすると、不信感を与えて追求されるということはよくあることだと思います。


それでは。


しっかり受けとり、出力をして参ります。



よい1日になさってください⭐︎

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