【R.I.P.】ありがとうさようならテリー・ファンク、ですわ

 皆さまごきげんよう。いつも読んで下さっている方は押忍ですわ。初めましての方は初めまして押忍ですわ。というわけで押忍ですわ。

 さて、テリー・ファンクの訃報が飛び込んで参りましたわ。わたくしは全然世代ではないのですけれども、初来日初戦からアントン(アントニオ猪木)と当たっていますし、来日7戦目にはBI砲とも当たっていますわ。わたくしの父がテリー・ファンク好きで、わたくしをプロレスの深淵へと連れてきてくれたレスラーの1人でもありますし、わたくしといたしましては、リズムなどを認識するのに役立ったレスラーですので非常に思うところがあり、筆を取った次第ですわ。

 テリー・ファンクは有名プロレスラーの中でいち早く引退と復帰のムーブをやったレスラーだったと思いますわ。右膝が悪く、1980年の7月4日のUSタッグチーム・チャレンジカップトーナメントの決勝戦で決定打となる怪我となり、この試合後にテリーは膝の手術をし、10kgほど痩せたそうですわ。

 元々この膝の怪我は、フットボールの影響だそうですわ。「気まぐれで、調子に乗りやすく、ルーズ(本人談)」で、だけど感情豊かで涙もろい性格はわたくしもシンパシーを感じますし、自分がNo.1になるよりも、ファンクスとして世にはばかりたいという情緒が常だったのもシンパシーを感じますわ。わたくしも、わたくしとしてよりも、コンビで売れたいですし。個人的なことをブチ込みまくりますけれどもごめんなさい。ちょっとこういうの交えないと書けない精神状態なのですわ。

 テリーは、“休み”をとても愛したそうですわ。乗馬に興じる最高の休みの為に生きているぐらいのノリだと吐露していて、これもわたくしは非常によく分かると言いますか。わたくしは元々『社(やしろ)やすみ』という名前なのですけれども、これは「会社やすみたい」という森羅万象への祈りであり、運動して食べて遊んで寝るというシンプルライフを愛するわたくしといたしましては、乗馬やってみようかしらなんて思ってしまいましてよ。テリー・ファンクが馬上から見た夕日をわたくしも見てみたい気持ちになるといいますか……。

 テリー・ファンクの八方破れの試合を今ちょっと観ながら書いているのですけれども、何だかウルウルしてしまいますわね。アントンにつきましては、しばらくはワンチャン生き返らないかなと思っていましたし、今は、実は行方不明で、亡くなってなんていないとガチで思っていますけれども、テリーに関しては何だか、亡くなったのですわねと思ってしまうと申しますか。こうなりましたらば、10年ぐらい前に突如全日に現れたあの変なオーナーがファンクスを何故か呼んで、地上波で試合を流したという珍事に感謝してしまいますわね。わたくし当時の近しい方に「DVDに焼いて下さいまし焼いて下さいまししばきますわよ」と激烈にワガママを言って、今も手元にありますもの。あの頃の全てに感謝感激カブタックですわ。

 さて、UWF出現前のプロレスには、殴る蹴るが中心のブルファイターがたくさんいたと思いますけれども、テリー・ファンクはアメリカンショーマンのスタイルを前面に出しながらのブルファイトをやりましたのよね。ファニーアクションが入るのは、大谷晋二郎などに受け継がれたとわたくしは解釈していますわ。また、MEN'sテイオーは学生時代にテリー・ファンクのコピーファイトをやっていて、大谷同様、直接の師弟ではなくとも受け継いだものは多いと思いますの。日本だけではなく、アメリカのレスラー(ダスティ・ローデスなど)にも影響を与えたと思いますし、テリー・ファンクは色んな方の心に、色んな意味で根ざした存在だったのだと、今更ながら思いますわ。

 ちなみにテリーの技といえば、伝家の宝刀スピニング・トーホールドと、ぴょこぴょこ動きながら、特徴的なリズム、タイミング、間をもって放つテキサスジャブでしたわね。スピニング・トーホールドは、ここぞというところで使うのではなく、常に狙っていくという形の試合がたくさん残っていますわね。足を取ってテイクダウンし、スピンして、相手の靴底に蹴り飛ばされ、大きな受け身を取る姿と、ボロボロの姿で放つテキサスジャブがテリー・ファンクの象徴的なフォルムだと思いますわ。

 漫画『キン肉マン』に出て来る人気キャラクターのテリーマンのモデルでもあり、余計に日本人には馴染みの深かったスーパースターでありますし、忘れてほしくない、知られてほしいプロレスラーだと思いますわ。願わくば、テリーの眠りがやすらかでありますように。

 押忍ですわ。

 

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