1000人を殺して1億人を救う意思決定の苦悩【緊急事態宣言を考える】
緊急事態宣言について、1回目のときも、2回目のときも、僕はぼんやりとこんなことを考えていました。「緊急事態宣言を同じような形で出していただろう」というのがなんとなくの答え。でも、その理由がうまく自分のなかで消化できずにいます。
コロナで死ぬ人より、自殺で死ぬ人の方が増えるのでは?
1回目の緊急事態宣言が決まったときから、このようなコメントはいろんなところで見かけました。コロナで死ぬ人より、経済が死ぬことによるダメージや自殺による死者の方が大きくなるのではないかという意見です。NewsPicksのコメント欄にも、4月〜5月にそのようなコメントが多かったように思います。
感染症の専門家でもなければ、政治経済の専門家でもない僕がこの緊急事態宣言についてとやかく言うのもどうかと思うのですが、どうしてもこのモヤモヤの正体を言葉にしたくて、考えてみることにしました。きっと答えはないとわかっていながらも。
緊急事態宣言を振り返る3つの数字
まずは事実ベースで、緊急事態宣言についてわかっていることを3つに絞ってまとめます。
【1】新型コロナウイルスでの累計死者数:8836人
日本での新型コロナウイルスによる死亡者数は2021年3月21日時点で「8836名」でした。(出典:日本国内の感染者数(NHKまとめ))
【2】2020年の休廃業・解散:49,698件(14.6%増)
東京商工リサーチによると、2020年の休廃業・解散は49,698件でした。前年より14.6%増えています。倒産も合計すると5,7471件で、日本国内の企業約359万のうち1.6%がわずか1年で撤退・消滅したことになります。
【3】2020年の自殺者:20,081名(4.5%増)
警視庁の統計によると2020年(令和2年)の自殺者数は2019年よりも「912名」多い20,081名となっています。4.5%の増加です。11年ぶりに増加に転じています。
男性は23人減少し、女性が935人増えています。女性の自殺が顕著に増えたといえます。
男性は14,055名、女性は7,026名です。もともと自殺は男性の方が女性の2〜3倍多く、絶対数としては2020年も依然として男性の方が多いです。
年代別にみると20代が最も増加していて404名増えています。
「コロナ対策で高齢者の死亡を防ぐよりも、未来ある20代の自殺を防ぐことの方が大切なんじゃないか」という主張は一理あって、事実として20代の自殺が一番増える結果になっているということになります。
実際に、2021年11月に東京大学大学院経済学研究科の仲田先生が発表したデータによると、年齢別の「コロナ感染死者数」と「コロナによる追加的自殺死者数」を比較すると40代まではコロナで増えた自殺死者数の方がコロナ死者数よりも多いことがわかります。
自殺が増えると分かっていても、決断すべきか?
この問いが、1番考えたかったことです。きっと誰も言えないけど、分かっていたことだと思うんですね。
っていう議論がされているはずです。目先の自殺予防や目先の経済活動よりも、感染症対策を優先する、2年後、3年後、ひいては数10年後と中長期的な成果を優先する、というのが緊急事態宣言の決断の背景にある思想かと思います。
もっというと、自殺予防はコスパが悪く不確実性も高いから、後回しで良いという観点もあったかもしれません。有権者には高齢者の方が多いので、高齢者に聞こえのいい政策判断しかできなかったという側面もあるかもしれません。
真相はわからないですが、「自殺が増えるだろうとわかっていながら、大きな政策的意思決定を断行し、結果として自殺は増えた」というのが2020年なのかなと思います。果たしてこの決断は正しかったんでしょうか。
アルキメデスの大戦と緊急事態宣言の類似点
この問題を考えているとき、映画「アルキメデスの大戦」のことを思い出しました。天才数学者と戦艦大和にまつわる話です。(※ネタバレを含むので、読みたくない方は飛ばしてください。)
この映画の中で、船艦大和は、「日本が第二次世界大戦に勝利すること」を目的に製造されたのではなく、敗北の象徴として「沈没させて日本国民の戦意を喪失させること」でポツダム宣言に持ち込み未来の日本国民を救うために製造されたという解釈がでてきます。つまり、「船艦大和で戦う兵士たちを沈没するとわかっていながらも意図的に殺して、多くの日本国民を救う意思決定」だったわけです。
でも、あえて国民にはいいません。なんなら日本軍にもいいません。いってしまったら、相当な批判で潰されるでしょうし、効果が薄れてしまうからです。
それが真実なら、「戦艦大和を完成させる」という意思決定は、緊急事態宣言とかなり類似する同じ苦しい決断だったといえます。
こちらの記事で戦艦大和は「特攻(兵士が死ぬことを前提とした作戦)」だった旨が解説されています。
こういうことって、意外とよくあると思うんですよね。
例えば仕事でも、プロジェクトを撤退するときは似たような決断がされていると思います。目先の売上を失って、顧客や従業員に苦しい思いをさせてしまってでも、数年後の利益のために切り捨てる決断など。
なんでこの決断にモヤモヤするのか?
この決断に悩む理由は、おそらく2つの相容れない正義感が共存しているからなのかなと思います。
目の前の人を救うことを正義とする「ケアの倫理」と、最大多数の最大幸福を正義とする「功利主義」です。
「ケアの倫理」と「功利主義」の葛藤
ケアの倫理と功利主義が議論している僕の脳内ディベートの様子を少しだけお見せします。
ケアの倫理は「1名の死」を重んじます。1名の死も、100名の死も、同じくらい痛みを伴うと考えます。比べることはできません。功利主義はとても合理的でドライです。だから、科学的に説明責任を果たすことができます。
どうしてもケアの倫理は目の前に注目してしまうので、拡張性、中長期的な持続性の視点が弱くなって、功利主義に論破されがちです。でも負けたくなくて、モヤモヤしているんだと思います。
あともうひとつ。意思決定者が意図してやったことなのか否かも違和感のあるところです。わかりたくもない事実かもしれないし、何が真実なのか誰にも証明できないことなのかもしれないけれど、「特攻」のように死ぬとわかっていて決断したのか、それとも不確実な中どうなるかわからない状況で最大限リスクヘッジをした上での結果なのか。
1000人を殺して1億人を救った意思決定
緊急事態宣言というのは、ある意味で「1000人を殺して1億人を救った意思決定」だと思います。なんとなくそれが正しい決断だったような気がするのですが、その一方で自殺者が増えたという揺るぎない事実はあるわけです。僕には正直いい答えが出せなくって、何が正しいのかわからないです。
どう考えるのがいいのだろう。みんなどうやってこの結果を受け止めているんだろう。
2021年6月末まで、クラウドファンディングを実施しています!上記ページを見ていただけたら嬉しいです。自殺予防やメンタルヘルスに関心のある方はTwitterなどで気軽にご連絡ください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?