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ぬるいめの限りなく日常的な希望

大晦日だけどちょっと休憩🍵

今年の初め、寺としての年末年始のバタバタが終わり実家へ。
少しの間なら赤子を見とくよ、と母が言ってくれて、私も家にいるーと9歳も言うので
なんだか突然ひとりで出かける時間が出来た。
元々の辺鄙な場所に住んでる事に加え、コロナと育児とかさねがさねのハードルもあって本当に久々に1人になったような気がする。

さてさてどこに行こう。子供の頃からずっとお正月にはお詣りしていた三輪さんに久々に行こうか、それとも寅年だから信貴山にお詣りしようか。

わあわあと贅沢な悩みを楽しんだ後、なんとなく心の中で実は何気にずっと行きたかった千鳥温泉さんに行った。
鏡広告がオモロい、っていう大阪此花区のお風呂屋さん。

スマホをぐるぐる回しながら(Googleマップの見方が下手)迷いながら、途中、レトロで素敵な意匠の窓枠にときめきながら、
大阪っぽい景色の、広い河川の橋を渡る時

「あぁ、私こういう事が好きだったわ」としみじみと思った。

最近正直、移住促進系のキラキラした話の中の、ココにはこんなのがあります。あんなのがあります。なんなら「何もない」があります。みたいな話のまま自分のモチベーションを保つのがなかなか難しくなってきたような気がしておりまして。

田舎暮らしでも「どうしても観たいライブ」や「どうしても行きたい展覧会」はちゃんと行けるんです。

ただ、そこまでの熱量でもない「なんとなく行きたいと思っていた事」「見れたらいいな、程度の景色」とか、ぬるいめの限りなく日常的な希望が、
それと気付かず取りこぼしていってるなぁ、と気付かされたのだった。

下北山村に来て、そういや無いな、と思った事がもひとつあって、
下北山村だと日常の買い物なんかは熊野尾鷲になるのだが、
そうなると地域情報誌が今まで目にしていたものが無いのだった。エルマガがない。

気になる特集がSNSで目に入っても、なんでだろう通販で買うのは違う。買ったもののAmazonの薄い封筒にしばらく入ったままの事すらある。
出来たらコンビニや書店で見かけて買って、一緒に買ったお菓子なんかと一緒にめくりたいんだなぁ、と思う。

えーと

とりとめなさすぎた。どこに着地したらいいんか。
まあ無いものは仕方がない。
ただ、そのまま「機会がないからあまり興味が無くなって〜」みたいになるのは嫌だから
できたら時折は触れて、
「ああ、私こういうのが好きだったな」とちゃんと自覚して思い出したいなと思った。

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