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修二忌
島田修二は、十七歳で海軍兵学校入校、広島で原爆投下を目撃、戦後新聞記者に。家族の歌も多く、両足の不自由な息子さんを詠まれた歌が切ない。
足を病む汝が三輪車の影曳きてかく美しき落日に遭ふ
かなしみの色分けしごときドロップの一粒を子がわが口に入る
明らかに虐殺のさま写しつつ揺るるカメラよ感情を負ふ
これの世に残すは子のみ向き合ひて同じ皿なる魚を食ひゆく
瞑りて聞けばわが乗る自動車のエンジンの音戦時に似たり
障害者わが息子をば幾許の金にて雇ふとこの銀行は
限りなく死は続くべしひとつづつ頭蓋を支へ階くだる人ら
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