映画「JAZZ LOFT」とユージンスミス写真集

「MINAMATA」公開後、ユージンスミスを理解するもう一つの映画「JAZZ LOFT」が上映され見に行った。1957年、ユージンは家族との住まいを出てマンハッタンのロフトで、演奏家や芸術家たちと暮らし、その人たちを撮影、生演奏を大量に録音。映画はそれをベースに作れられ、多くのインタビューも入ったドキュメンタリーである。ジャズ好きなひとにはたまらない作品ではないだろうか。

まったくジャズ音痴の私には、有名な曲や演奏者が出てきてもピンとは来なかったが、「MINAMATA」の場面はこのロフトを人々が去り孤独に暮らすシーンから始まっている。「MINAMATA」以前の極貧生活のユージンがいて、PTSDなどにも苦しめられつつ音楽に包まれて、写真の力で世界を変えたいと日々写真に向き合っている。

映画館で売られていたユージンスミス写真集を購入。

150近くの写真がおさめられ、さまざまな人に解説されている。そこから気に入った言葉を記しておきたい。

彼の作品を見て体験する時、大切なのは、自分の信念を貫くのなら、それは「いつか」ではなく「今」ということだ…(アイリーンスミス)

「客観的である」というのウソであり、大切なのは公平であり正直であることなのだ…(ジャーナリズムについてユージンの言葉)

「水俣」は父の最後の聖戦だった…父の死因は「辛い人生」だったと言うことにしている。(ケヴィンユージンスミス)

…信念、トライ、カメラ、そしてフイルム、私の良心の壊れやすい武器たち、これらを武器に私は戦った(ユージンスミス)

戦争はこの世の縮図であり…人種的偏見、貧困、憎悪、偏狭は平時の生活のうちにも蔓延するが、戦争の中でほど、否応なくはっきりとは捉えられない(ユージンスミス)

彼が思っていた以上に、彼は写真で世界を変えた、彼の作品は、彼の美しい理想を表し続けるだろう。(レベッカセンフ)

ちょうど馬場あき子全歌集の『地下にともる灯』を読んで読みに躓いていた。ユージンの1961年から1962年に撮られた「日立」の写真には、風土と工業化というテーマが如実だ。『地下にともる灯』の歌とどこか重なった。『早笛』から感じられることだけれど、馬場さんには最初からジャーナリスティックな視線があったと言える。(すでに言われていることかもしれないが)

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