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その後ろにいた私の囁き

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先の記事で書いた、これ。

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ここの所私が苦しんでいたのは、目の前に広がる「現実」ではなく、後ろから私を詰めてくるこの指の存在。それは、私の香ばしい日々を焦げ付かせる、私の心の声でした。

あんまり自分の中の声からの抑えつけが酷くなってきたもんで、ここでいっちょ整理したくて「心の有識者会談」を開いたんですよ。(個人カウンセリングの事を「心の有識者会談」って呼んでみた。私は私のプロ。カウンセラーさんは心のプロ。プロ同士の会談なんですよ。これ、よくねー??・・・知らんがな)

ほんでもって、ここんところ書いている悶々とした心のこんがらがりの大元が「罪悪感」だったと分かったんですわ。

てっきり、ひっどい「無価値感」だと思ってたよ。
だけど、罪悪感を持つ事で、無価値感や自己嫌悪や後悔なんかも生まれてくるという心理の話を聞いて。そこはとても複雑にコンプレックスしていて。(布袋と吉川かっこいいね)

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特に私は「罪悪感」と「無価値感」が密接だったようですね。

それでよーく聞いてみたら、私の心はいつもこう囁いていたんや。
「あなたは悪い子。だからいい子にならないと、とんでもないことになるよ」

1111あなたはダメな子

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その声はいつも耳に流れている声で、もうBGM感覚やからしっかり聴いてなかったんやな。
私はきっと幼い頃からその得体のしれない声に怯え、でも恐れながらも絶大なる信頼を寄せ、そこに依存して生きてきたんだわ。

罪悪感って。。。。めっちゃ今更感あるけど、でも今初めて出会った気もしてて、なんだか新鮮な出会いに感じています。
これは、ずっと自分と同化していた「私は悪い子」を、初めて切り離して眺めているような感覚だったりします。

こないだ書いたこの記事。

「結局ね、現実がどうであれ今の自分を許せるか、、、なんだなぁ」
やっぱりその一言に尽きるんだと、しかと理解しましたよ。

数々の幻想の罪を背負って自分を罰し、幸せにならない努力をする事で償っているつもりになって。
今、目の前にあるたくさんの幸せを受け取らず取りこぼして、世界に溢れかえる「幸せになる方法」を読み漁って、読み漁れば漁るほどに「自分は幸せでない」を強化し、幻想の正しさを背負ってまた自分に罪を着せる。人に悪い子であることがバレていないかいつも怯えて、自分を見張って、どんどん世界が恐怖に満ちてきて。

もうね、いいんじゃないかって、そんな事しなくても。
囚われているのは、幻想の罪だよ。ってことは、「完璧」という名のゴールのない幻想の善を見るのを辞めてしまえばいい。
そして目の前の現実にはどこにも私を責める人はいない。あくまで自分の中に「その存在」がいるだけの話なんです。私だけが私を罪人にして、罰を背負っている。

これからの人生を過去の幻想の罪を贖うために、「幸せになりませんから」といういつかの誓いを守って生きていっていいのか?

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だから、はい。
「結局ね、現実がどうであれ今の自分を許せるか、、、なんだなぁ」
というわけだったんですよねー。

心の中だけの地味な作業だけど、セルフトークを変えていくことが、唯一にして最大の方法なんだな。私を認め、許し、時に励まし。「ええやん」「ええねん」「しゃあない」「そやな」「どうしたいん?」って寄り添いながらゆっくり見守って生きたい。
そしたらば、「悪い子な私」へのセルフトークが耳鳴りのように聞こえてきましたよ。こんなにも、どんなときも私に私が語りかけていたなんて。。。

病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、私を私として愛し、敬い、慈しむ事をここに誓い改めます。

そんな気分です。

続く。


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