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8月15日 八美→新都橋

 今日も快晴。これでカッパの出番はなさそうだ。カッパを全く使わずに終わるのは、初めてかも知れない。今日の予定は、ここから+500mの峠を越え、距離にして30km先の塔公に、昼までに着き、そこで友人と落ち合い一緒に昼食して、15時くらいまでカフェでゆっくりして、新都橋まで走る。塔公から先は、ほとんど下り距離は35kmで-300mだから17時くらいに着くだろう。

 8:45 出発。しばらくは両側に麦畑が広がる。強い陽射しに小麦の色が映え、麦を刈っている人達がアクセントになっている。美しい風景だ。でも、作業している人は暑いだろうなあ。家族親族が集まり、みんなで手で刈っている。機械を使わずに手で刈っている。自転車で走っているぼくを見つけると、手を休めて見たり、手を振ったり、ハローと声をかける人もいる。ぼくも手を振り返すが、自転車なので、手を頭の上に上げるのはしんどい。前傾姿勢のまま、腰の辺りで手を振る。

 麦畑地帯を通り過ぎると、上りがちょっときつくなった。それでも昨日ほどではないので、順調に進んで行く。しかも、峠までは約500mの上りだと思ったのに、400mくらいだった。
 11:10 峠着。標高3,900m。峠から塔公までは下りなので速い。塔公高原を快適に走り抜ける。風が心地よい。

 11:45 塔公着。標高3,800m。今日、ここまでの走行距離は30km。
 塔公は非常に小さな町であるが、歴史ある寺院があり、観光客も多い。そのせいか、昨日泊まった八美よりも小綺麗で、居心地がよい。この地を気に入って、カフェ兼宿泊施設を営む欧米人もいる。友人と待ち合わせたそのカフェでチベタン料理を頼む。料理が出てくる前に、友人が来た。友人はバスで一足先にここに着き、寺院を見学してきたという。窓口で入場券を買おうとすると、友人が数珠を持っているのを見た受付のチベタンは「どこから来たのか?」と聞いてきた。日本から来たと言うと、「おー、日本人は友達」と言って歓迎され、入場料を無料にしてくれたらしい。チベタンにとって日本は、好きではない中国の向こうの親しみのある国であるようだ。
 しばらくすると、注文した品が来た。餃子と肉まんの中間みたいな物とチーズと麺の3品である。肉まん餃子は美味しかったが、多過ぎる。麺はまあまあ。チーズは酸っぱくて、半分以上残した。
 

1時間半かけて、ゆったりした昼食を取り、それからぼくは寺院を見学した。残念なことにぼくは無料にしてもらえず、入場料320円を払った。カラフルな仏像や壁画は日本の寺院とは異なり、興味深い。でも、ぼくは日本の寺院の方が好みかな。30分ほどでまたさっきのカフェにもどり、フルーツジュースとヨーグルトを頼んだ。そのカフェはメイン広場に面しており、2階のバルコニー席からはメイン広場が見下ろせ、絶好のロケーションである。
 

 地図を見ていると、ここから康定に抜ける道があるようだ。康定は予定していた新都橋より東にある大きな町で日本便がある成都により近く、バス1本で成都に行くことが出来る。しかも途中に湖や温泉もあるようだ。そっちの道を走ってみたい・・・どうしよう・・・気になるのは、4年前に新都橋から先を走っている。今回新都橋まで走れば、ぼくが走った道が成都から1本につながる。康定までだと、康定から新都橋までが未走部分になる。記録のために旅をしているわけじゃないけど、やっぱり1本でつなげたい。夢はこの先、ヒマラヤを越えてインド洋まで線をつなげたい。今回は予定通り、新都橋に向かおう。
 15:25 予定よりちょっと遅れて塔公を出発。最初の5kmくらいは全くこぐ必要がなく、ブレーキも使う必要もない快適な下りだった。しかし、そのあとのほぼ平坦な道がしんどかった。気付かないくらいの上りかもしれないが、脚が重い。予定通り進んでいるのだが、脚が重い。スピードを落とせば楽になるというわけではなく、適切なスピードで進んでいるのに脚が重い。来年も走ることができるのだろうか?
 17:30 予定通り2時間で標高3,500mの新都橋に着いたが、疲れは予想以上だった。まあ、走るのは今日が最後なので、全く問題はないんだけど。新都橋に着くと、車で先に着いた友人が地元のおじちゃんおばちゃんとなにやら話をしていた。どうやら、宿泊の客引きらしい。うちに泊まっていけとしつこいようだ。ぼくたちは明日、康定に向かうので、バスターミナルに近いところに泊まると言ったが、おっちゃんは、それなら明日朝バスターミナルまで送っていくから大丈夫だと言う。1泊いくらかと聞くと、1人480円だという。こりゃ部屋汚し、シャワー無し、トイレ臭し、だな、と思ったけど、明日いいとこに泊まることにして、今日は我慢しよう。おっちゃんに宿に行く前にバスのチケットを買うというと、バスのチケット売り場まで案内してくれた。しかし、チケット売り場で、康定までのバスのチケットはないと言われた。どうやら、ここを始発にする康定行きのバスはないらしい。また、ここで降りる客もいないので、ここから康定行きのバスには乗れないらしい。参った。すると、おっちゃんは康定までは白タクで行けるから、大丈夫だという。それを聞いて安心して、おっちゃんの宿に向かった。100mちょっとのところにおっちゃんの宿はあった。家の2階を宿にしているようで、リビングを抜けて、はしごを上がって2階に行く。階段じゃなく、はしごだ。部屋の汚さが想像つく。まあ、仕方ない。と思って部屋にはいると、びっくりした。12畳ほどの広さのチベタン風の部屋にベッドが6つとソファーが3つ置いてある、小綺麗な部屋だ。においも臭くない。こりゃ快適だ。トイレはちょっと臭いだけで、許容範囲である。シャワーは十分な湯量で満足だ。
 

 シャワーを浴びて、夕食に出かける。ここも冷えたビールを置いてない。売ってもいない。走り終わった日に、冷たいビールがないなんて・・・。夕食後、宿にもどると、おっちゃんがリビングでテレビを見て行けと言う。ソファーに座ると、お酒をついでくれた。焼酎のようなもので、美味しいけど、きつすぎる。おちょこ1杯分くらいを飲んで、あとはバター茶にしてもらった。バター茶とはお茶にバターを溶かした物で、チベットの伝統的な飲み物である。決して美味しいとは思わないけど、自転車に乗っているときは、結構身体が受け付ける。おっちゃんの他にはおばちゃんと娘と孫がいる。孫は小学5年生の男の子だ。父親はいないらしい。テレビを見ると、反日ドラマがやっている。どんな内容か興味津々だけど、何を言っているのか分からないので、内容が詳しくは読み取れない。内容がわからないと面白くないので、テレビを見ずに男の子と算数の勉強。まずは分数の足し算。まだ、習ってないらしい。じゃあ次に、鶴亀算。しばらく考えたが、できない。ヒントを出してあげる。おしいとこまではいく。あきらめるが、もう少しだと励まし、なんとか答えにたどりついた。さらに3問ほど解いて、男の子は22時くらいになって、ベッドに向かった。その後、おっちゃんと話をした。もちろん筆談だが、意味の分からない漢字が多く、ほとんど会話にならない。男の子の父親が居ないので生活が苦しいということはわかった。その後の文章がわからない。「○○○○○○○○、謝謝」最後の「謝謝」は「ありがとう」というのはわかるが、問題はその前だ。「生活が苦しく、あなた方が泊まってくれて助かった。ありがとう。」なのか、「生活が苦しいので援助してもらえないか。ありがとう。」なのか、それとも他の意味か?ほとんど意思の疎通が出来ないままリビングでのひとときを終え、部屋にもどって眠りについた。昨日のホテルの半額以下だが、こっちの方が遥かに快適だった。  本日の走行距離65km、登坂高度400m。

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