読売新聞

壮大な小田急「林間都市」計画、なんと遷都論も

 「東林間」「中央林間」「南林間」――。小田急江ノ島線の神奈川県相模原市から大和市にかけて連なる「林間」を名に冠した駅は、小田急電鉄が昭和初期に進めた「林間都市」計画の名残だ。5000戸の住宅を建設し、各種施設を整備する住宅都市計画。恐慌による不景気などで計画は頓挫したが、現在の街づくりにつながった。

 小田急電鉄は1929年(昭和4年)の江ノ島線開通に合わせ、3駅のエリアに「林間都市」の建設を計画した。創業者で明治~昭和期の実業家・利光鶴松(1863~1945年)の肝いりの構想で、沿線の約264万4600平方メートルに住宅地やスポーツ施設、文化施設、学校などを作る文化都市を目指した。

 私鉄沿線の宅地開発の先駆となった田園調布などの成功例に触発された計画で、同電鉄がまとめた「小田急五十年史」には、「(利光は)『林間都市遷都論』までブチ上げていたほど構想雄大なものだった」と記されている。


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