何でこんなことやってんだろ?

つい先日のことで、とある、知り合いに「何でnote書いてるの?」って聞かれませして、
なんで、僕はこんなことやってるんだろう?
と、上手く説明できない自分がいたんですが、
まぁ、ホントに何でやってるんだろう?と、、、

まぁ、特に有名人でもなく、何か権威がある訳でもないですし、
でも、何でこんな発信を去年からズーっと続けてるんでしょうか?

何ででしょう?

と、僕も上手く説明できないかもしれないですが、今回はちょっとその心境を吐露しようかと思います。

というに、僕は小学校の頃から親元を離れて寮で生活してたんですよね。
はじめて、寮での生活はそれは最初は幼稚園の時のお泊り会みたいな感覚でワクワクしてたんですが、
ふと、我に返った時に急に言いようがない寂しさが襲ってきて、それはそれは何とも言えない寂しさと、自分が何でここにいるか?何でここで暮らさなきゃダメなのか?ということもわからないまま寮生活を送ってたんですよね。

同じような子たちと面倒を見てくれる寮母もいて、
ご飯も食べれるし、お風呂もあって、ちゃんとしたベットで寝て。
不自由はないんですよ。
日中は勉強もして、外で元気よく遊べて、
でも、寝る時になるとなんかポカンとした感じがあって、
な~んかが足りない感じがあったんですよね。
で、そんなんでそれなりにたくましく育ったのは育ったんですが、

一応言うときますが、いや、特に親を恨んでるとか、そんなことはないですよ(笑)
それはそれは寮にいる寮母や食堂のおばちゃんや先生方にはお世話になって、感謝もしているんですが、
子どもながらに何かが欠けている感じなんですよね。

今思うと、どこか良い思い出のような気もするし、その時の経験あってこその今の自分ってこともあるんです。

そして、今自分が子育てを経験する親の身になって少しづつその時の経験が呼び覚まされている感じがあるんです。
もちろん、その時代と状況も違いますし、また、世間で言われている子育ての方法論なんかも違うわけなのでどの方法をとってもそれはそれで親の選択であって、それによって子どもが成長していくことに影響もあって、親としては何か少し重たいような責任なんかも感じるんです。

そんな責任と覚悟みたいなモノにちょっと重みを感じながらも自分の子どもの時と今の自分の子どもを照らし合わせるような感じもあってか、ちょっと僕なりに真剣に子育てに向き合ってる感覚は大事にしているつもりなんですよね。
特に、僕が思うに子どもの人間的成長を手助けできるような事は他の誰か大人がやってくれるわけでもないので、親が率先してやらなければならない事だと思ってるんですが、そんなことをやっぱり書き留めておこうということなんでしょうかね。

なんやかんや大袈裟に言うと親としての自分の子どもに対する信条みたいなことを書かせてもらってるわけなんです。

今はやっと子育てにして半ばくらいにさし掛かってると自分では思うんですが、その経験と共に自分での(これはなんとな~くなんですが)何か善い方向に進んでいるな!ということを思えるわけで。

はたから見たらどうなんでしょうね?
どーでもいいことかもしれません。
ですが、僕はどーでもいいことだとは思ってないのです。
まぁ、少なくとも読んでいただける方が一人でもいる限り続けようと思っていて、まだまだ書き足りない事は沢山あるので、それもこれもまた少しづつ書いていこうかなぁと思ってます。

そして、やっぱりひとつの答えとしては、僕たち親は人間を育てているということ!
これが、また本分でもあり、人間にとって原初的なことでもあるのかなぁと思い始めているんです。
おこがましいかもしれないですが、これが今の僕にはわかっているんです。
そして、そんなことを書かせてもらっているんです。
ちょっと違う視点で申し上げれば、学校では教えてくれない事でしょうか?
教育といっても勉強だけ教えることでもない事でしょうか?
そんなことを親の立場として書かせてもらってます。

そして、子育てって言うとみんな子どもを見てのことを言うようですが、やっぱり親としての自分にフォーカスを当てることも必要なんですよね。
そこらへんも実感しながら書かせてもらっています。

今回はなんか自分の想いみたいなモノを書いたのでちょっとフワっとした感じになってしまったかもしれないですが、とにかく何か幼いころの経験をもとに子どもとの付き合いを真剣に考えさせられたことは嘘偽りなく確かに感じていることで、それを体現して今、また子どもと向き合っているのです。

自分のためにもなった事が今、これを読んでいる方にも参考になれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?