窓が透く

以下は某誌の2015年1月号に掲載するために私が書いたエッセーです。Twitterで「たゆたう」が通じなかったという話をみかけて、再掲することにしました。

 「窓がすいている」という表現を、皆様はなさいますでしょうか。
窓がちょっと開いている = 窓がすいている
窓がはっきりと開いている = 窓が開いている
と、私は使い分けしていましたが、10年ほど前、それが周囲に通じていなかったことが判明しました。まさか方言だったのかと思って、国語の恩師にお尋ねしたところ、窓などがわずかに開いている状態を「すいている」というのは、方言でも何でもなく共通語であるが、今では年輩の方が使う古い表現になっている、とのお返事でした。
 2年ほど前のこと。ちょっと買い物にいった筈なのに帰りが遅くなりました。くまモンのぬいぐるみの棚で一体一体ためつすがめつ、そこで時間を消費した、という話をしていたら、「ためつすがめつ」が主人に通じませんでした。私の理解では「ためつすがめつ」は、価値がある、あるいはありそうだと思ったものを、じっくりといろんな方向から眺め回して吟味する、という、ちょっと「ご大層」な表現です。 それを敢えて「くまモンのぬいぐるみ(ごときもの)」に使うことで、くまモンに対する私の並々ならぬ執着を一言で表したつもりでした。しかし、明治の文豪のように語注がいるようでは、使っても甲斐がありません。心の中でそっと、「通じない恐れがあるから使わないリスト」に書き加え、これらの表現を使わない様にしてきました。
 ここで突然ですが、私は小野不由美さんの小説が大好きです。『十二国記』という、NHKアニメにもなったシリーズはもちろんの事、この方の書かれるホラーが、これまた堪りません。平成26年師走にホラーの新刊が出たと聞いて、わくわくしながら書店に向かい、早速購入してきた『営繕かるかや怪異譚』。その第1話の1ページ目で、私は衝撃を受けました。そこには次の一文がありました。
-その襖の片側が、わずかに透いていた-
なんと、「襖がすいていた」との表現が使われていたのです。しかも、第2話には、「矯めつ眇めつ」までもが使われていました。
 これらの表現は、その情景をぴたりと表すために必要な、繊細かつ的確な日本語表現だと、痛切に感じました。と、同時に、通じないのなら説明してまで使うのも面倒だし、蘊蓄たれの小母さん、古い人と思われたくないから使うのは止めようと思って、それらの言葉を次々と封印してきた自分を恥じました。
 実は、「窓がすいている」の件をお尋ねしたときの恩師のお返事には続きがありました。言葉は単純化していく傾向があって、若い人がなんでも「かわい~」(当時の話、今なら何でも「やばい」といったところでしょうか)で済ませてしまうのはそのためである。しかし、こういう細やかな表現は人間を相手にしていくお医者さんという職業の方には、是非使っていって欲しい、と。
 年頭に当たり、今年は言葉を大切にしていく年にしたいと、そのように思います。

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