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かげ

ある日、自分の影が二つあることに気づいた。
良く晴れた日の夕方、仕事帰りの僕は西日に向かって歩いていたのだが、背後に何かの気配を感じて振り返った。自分の影がアスファルトにふたつ、足元から右と左に長く伸びていた。試しに右手を上げてみた。二つの影も同時に右手をあげた。なんだこれは。僕はスマホを取り出して、写真を撮った。

翌日、友人に写真を見せた。友人は冷静に「光源になるものが二つあったんじゃないのか」と言った。「カーブミラーとか。そこに西日が反射して、影が二つできた」
おお、そうかもしれない。
友人はバイトがあって行けない、と言ったので、同じくらいの時刻に同じ場所にひとりで行ってみた。カーブミラーはどこにもなかった。西日を浴びた僕の足元から、やはりふたつの長い影がアスファルトに伸びていた。どういう事だろう。影があるということは、何かが光を遮っているという事だ。僕が二人いるということだろうか。僕はあたりを見回してみた。買い物帰りのおばさんが怪訝そうに僕をちらと見て歩き去った。

次の日は曇っていて、影は出来なかった。次の日は雨だった。
一週間ほど天気の悪い日が続いた。僕は影の事が忘れられずにいた。
快晴の日が来た。朝早く家を出た。
朝日に背を向けて立って、僕はあっけにとられた。
影が三つある。立ち止まって目をこすった。いや、四つ。
あれ、五つ?・・六つ・・・???
影はどんどん増えていった。
そのうち、影は重なり合って、ただの黒い円になった。
黒い円はどんどん大きくなって、景色を飲み込んだ。道路も街も家も空も。
ああ、真っ暗だ。僕は目を閉じた。同じように真っ暗だった。

気が付くと僕は西日に向かって立っていて、背中に気配を感じていた。
振り向こうとして僕は躊躇した。また僕は自分の二つの影を見るのかも知れない。そしてそれに囚われる。
「バカバカしいだろう?」と誰かが言った。それは自分の声のようにもそうでないようにも聞こえた。
「うん、バカバカしい」
「だったら振り向かない方がいい」
「そうだね、どうでもいい事だもの」
「そう、どうでもいい」
僕は振り返った。影が二つ伸びていた。
そのうちの一つが僕の足元を離れて手を振った。「じゃあ、これで」
「うん。長い間気が付かずにいてすまなかった。ごめんね」
「ぼくこそごめん。気づかせてしまった」
影は一度、さらにぐーんと伸びあがって、消えた。
影は一つになった。
夕陽は落ちて、ゆっくりと夜が訪れた。


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