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マガサス

「そうですね、そう難しい事じゃないです。ほんの数秒集中するだけなんで。もちろんその集中には才能も訓練も必要なんですが。」
「具体的にはどんな訓練を?」
「まあそれは企業秘密で。」
男は少し笑った。
「とにかく、いわゆる修行みたいなものじゃあないです。修行のレベルに入らなければダメな人間はそもそも適性がない。やってみたら出来た、というレベルの人間しか雇わない。そういう人間は罪悪感も抱きにくいので」
「罪悪感と言うと・・・自分の行いに、ですか」
「一種の暗殺に近い事なので。分かりますよね」
「あ、まあ、確かに・・」
「我々は銃やナイフで直接命を奪うとかそういう野蛮な事は一切しないわけですが、結果的にはターゲットを破滅させますから。その事実に対していちいち罪悪感を抱いてたら仕事にならんでしょう。まあこれは所謂普通の殺し屋さんとかね、その手の人たちと同じというか。医者や屠畜業者と同じと言うか」
「つまりはプロ、と」
「なんかイヤなんですけどね、そういう括りも。でもまあ、そういうことです。プロ向きの人間とそうでない人間は最初に慎重に選ばないと。」
「僕とかどうでしょう」
「それ、真面目に言ってますか」
「半分は」
「では真面目でないほうの半分に従ってください。」
トーンを落とした口調になって男は笑った。
「・・・で、そろそろ、実際の現場を見せていただきたいのですが」
「いいですよ。依頼の実行現場をご覧に入れましょう。もうすぐターゲットが現れます。」
男は改札口を指さした。
「次の電車で到着すると監視者からの連絡がありました。」
「ターゲットはどういう?」
「自分の銀行の不正融資を暴こうと奮闘している銀行役員です。色々調べましたが、正義感の強い立派なかたです」
「そういう人を破滅させちゃうんですか」
「させちゃいますよ。仕事ですから」
「なるほど」
「あ、来ました。」
通勤時間帯の地下鉄に乗るという行為そのものが似合わない程きちんとした身なりの初老の紳士が改札口に近づく。
「よく見ていてください。」
と言われたが、何を見ればよかったのか。
男は数秒間、改札を通り抜ける紳士をじっと見つめただけだった。
「終わりました。」
紳士は改札を出て、コンコース中央の太い柱に向かって歩いた。
柱の前で若い女性がスマホを見ていた。
次の瞬間、紳士はその女性に抱きつき、女性が悲鳴を上げた。
「ちょっと!!なにするんですか!!」
紳士ははねのけられ、呆然と立ち尽くした。
「どうしました!?」
駅員が駆け付けた。
「抱きつかれました!この人です!」
「え・・いや・・・私は」
紳士は動かなかった。
「ちょっと来ていただけますか」
駅員が紳士の肘をぐっとつかんだ。

男はその様子を確認して微笑んだ。
「もうあの方は終わりです。社会的な信用のあるかたほど、スキャンダルに弱い。特に、性的な要素の絡んだスキャンダルには。どう抵抗しても、もうあの方には銀行の不正融資を暴くことは出来ないでしょう。」
「何をしたんです?催眠ですか?」
「いいえ。ほんの数秒間だけ、彼を『魔が差した』状態にした。それだけです。」
「魔が差した・・」
改札を通り抜けてホームに出た。
「人生は絶えまない判断の連続です。その判断の連鎖にほんの一瞬介入する。ほんの数秒間だけ。そして致命的な破壊を招き寄せる。それが我々の能力です。平和的でしょう?」
「はあ、まあ。でも、善人だったんですよね、あの人」
「私にとっては依頼を完遂することが善であって、ターゲットの属性は無関係です。私は善人です」
「なるほど」
「さて今日はもう一つ依頼があるんですが、どうされますか。」
「どんな依頼です?」
「四つ星レストランのシェフの判断に介入して、フレンチを中華に」
「・・いえ、もう充分です。ありがとうございました。武器を一切使わない暗殺組織、が実在したなんて、ほんとに驚きです」
「暗殺組織、ではないですけどね。暗殺組織みたいなもの、ですよ、あくまで。我々は無闇な殺生はしません。よほどの事がないかぎり。」
「確かに!でも、不思議だなあ。なぜ取材を受けてくださったんです?全部が白日の下、ですよ、これで」
「簡単ですよ。取材はチャラになるからです。」
「え?」
視線が脳に食い込んだ。
「あなたのいるところね、そこ、線路ですよ」
地下鉄の轟音が響いた。


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