書く事、について

昨日の続きを書いてみる。

高校に入って、バンドを始めた。ガールフレンドも出来た。このあたりの事はまた別枠で書くけれど、とにかくなにかと忙しくなり、中学の時ほど「書く事」に対する執着は無くなった。
それでも完全に欲求が消えたわけではなく、1年生の時、なんとなく有志を募って非公認の「地下文芸部」を勝手に立ち上げ、中学時代身につけた大量の原稿用紙を束ねて製本する技術を活かして「鬱」という回覧誌を作った。
なんでまた「鬱」だったのか。
まあ、まだ思春期だし。色々憂鬱だったんだと。

2年生になって、現国教師のS先生に頼み込んで顧問を引き受けてもらい正式な「文芸部」を作り、「鬱」は活版印刷の機関紙になった。
3年の時にはもう一冊、「鬱虫」を発行。鬱が好きだよなあ。
そのどちらも今は手元にないのだが、5年ほど前、何故か原稿用紙を綴じた「鬱」だけが色々な人の手を経て帰ってきた。
迷子の猫が40年以上経って戻った、みたいな不思議な気分だったが、開いて読んでみると別にそんなに昔書いた気もせず、こんな事書いてたのかうわー、的な感慨もなかった。
要するに、俺の中身はその頃から大して進歩していないんだと思う。そのうちこの回覧誌に掲載した作品をここに載せてみよう。なんだかんだ言って、それは俺のコアの一部かもしれないから。

大学は文学部に入った。
実は、映画の専門学校に行くかどうかかなり悩んだのだが、子供時代からの志向性を考えれば文学部進学は至極当然のなりゆきと言える。
が、この時点で書く事への欲求はほぼ完全に失せていて、没頭したのは音楽と映画、大学時代には小説はおろか、一片の詩すら書かなかった(ほんとうは、ある出来事をきっかけに「書けなくなった」というのが正しいのだが、それについてもまた後日)。

大学を出てからしばらくは、YAMAHAのシンセサイザー教室の講師で生計を立てた。バンドでメジャーデビューもしていたが、見事なまでに金にはならず。ただ、このデビューがきっかけで、リットーミュージック社の月刊誌「キーボードマガジン」からコラムの連載を依頼された。
生まれて初めて「書く事」が仕事になる!大喜びで書いた。
しかし、「何を書いてもいい」と言われた事を鵜呑みにしてキーボードとは全く関係のない事ばかり書いていたら、コラム「スラップスティックノーツ」は1年も経たずに終了させられてしまった。オトナは嘘つきで、俺はバカだった。
しかし、コラムは終了したものの、編集部に「こいつは文章書くのが好きらしい」と見抜かれ、新製品紹介やシンセサイザーの理論解説などなど、依頼される原稿の量はどんどん増えて行った。
そして、連載中止から1年ほど後、実は「スラップスティックノーツ」は一部読者にはかなりウケていたという事実が発覚、「2」の連載が始まり、今度はいくら経ってもストップがかからず、最終的には自分で幕を引いた。
その後、リットーミュージック社からはシンセサイザーの教則本を3冊出版、別の出版社から初歩の音楽理論や作曲に関する教則本を何冊か出した。俺の「書く事」への欲求は、こんな風に「技術系ライター」の仕事としての位相で解消されていった。






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