同じ時間を過ごす大切な「家族」へ
よし、次は「家族」へ想いの丈を語ろうと思います。
(仲間を超えた存在を「家族」と呼んでいます。)
はじめに
今日、あなたに久しぶりに会うことができるのを私は大変楽しみにしています。
あなたと血の繋がりはないけれど、僕にとっては、「家族」です。
ともに飯を食い、ともに寝て、ともに時間を過ごしてきた仲間です。
今日という時間も人生において大切な時間になるだろうと思います。
決してお金では変えることのできない価値になると思います。
僕はあなたがそれぞれの道を歩んでいることが本当に嬉しいです。
それぞれ辛かったり大変だったりする出来事はあるけれども、もう一度、今日ここに集まることができることに心より感謝しています。
人生は素晴らしい。
最近、本当に「人生は素晴らしいな」と思います。
一時期はマネタイズ、ビジネスに終われ、目先の利益ばかりを気にしていました。
そのときの私は本当に辛かった。
自分がしたいことを見失い、周りがお金のように見えてくることもありました。
そして、一番側にいてくれた「家族」の恩へも心からの感謝ができない時期もありました。
でもその暗闇から私自身は越えたと思っています。
お金稼ぐのも楽しいし、これからもどんどんしていきたいけれど、それ以上に、今という時間を大好きな仲間や「家族」と過ごし、そこで醸されたハーモニーが次世代に感謝されることであるというモットーが自分には一番しっくりくることに気づきました。
そんな人生は素晴らしいという気づきをもらえたのは、今僕の目の前に「家族」がいて、それぞれが自分という人生を模索しながら前に進んでいるからです。
大人から見たら、「何もできない人」、「普通の人」、「口だけの人」、「悩んでいる人」とか思われているかもしれないけれど、そんなことないって思っています。
僕らの人生は、僕らで始まっていないし、僕らでも終わらない。
そしてもう一つ、人生の素晴らしさに最近気づきました。
それは僕らの人生は、決して僕らで始まっていないし、僕らでも終わらないということです。
昨日、明治神宮に行ったのだけれどもそこでも生きることの素晴らしさを感じました。
実は明治神宮の鎮守の森は人工なんですよ。
100年前は荒地だったんだけど、当時の専門家(本多静六)が中心となって、かつての原生林を再現しようとした150年かけた挑戦でした。
蓋を開けてみると、150年計画は100年へと短縮し、明治神宮周りの生態系は原生林へと戻り、自然の力だけでその森を維持できる森となりました。
この挑戦は、100年前の先人の挑戦が今の日本を豊かにしているという先人への尊敬の念と感謝の気持ちもあるけれど、同時に自然への畏れも感じました。
人工的な鎮守の森というと、なんか嫌な感じはするけれど、あくまで人間は自然のお手伝いをしただけだと思います。
この明治神宮の事例はまさに循環の本質になっていると思います。
人間にとって自然が再生することがありがたい。
そこをお人間がお手伝いしてくれることは動植物にとってありがたい。
あとは動植物の循環システムを人間が手伝うことで永久的に持続する空間(森)が完成するんです。
そんなことを知って、僕らの人生というものは、自分から始まっているわけではなく、先祖や先人の奇跡や挑戦によって紡がれた未来の先にあるんだなと思いました。
そして、そんな挑戦や奇跡の恩恵を受けて今の人生を生きることができています。
つまり先祖・先人がためてきたものを使わせてもらっているのかもしれません。
でもそれも永続ではないかもしれない。
となれば、できることならやっぱり僕らも自分の子どもや次世代、未来のためにできることを遺したいなと僕は思っています。
醸される時間をどう楽しむか?
僕の近況報告と思うことを述べてきましたが、最後に今日の時間へのワクワクについてしゃべります。
今日もきっと発酵する時間になるはずです。
みんなの想いや悩みがふつふつと醸し出され、初めは味噌のようにゆっくりの発酵ですが、時間とともに環境が変化し、空間は発酵するでしょう。
そんな醸された時間をさらに寝かせることで、より熟成した“今日”という日になるのではないかと思っています。
ここまで辿り着いてくださったあなたへ。人生で誰と出会い、どんな縁があるかはわかりません。でもそれを楽しむことができる人生こそが、発酵ある毎日だと私は思っています。サポートはみなさんとコラボするために使いたいので、意思表明としてお気持ちいただければ嬉しい限りです。