Weのがっこう Program03 わたしと人工物・モノ
3回目のモジュール、「わたしと人工物・モノ」に参加しました。
今回は、アイヌのアミニズムな世界観と、わたしたちとモノとのウェルビーイングについて考えました。
私たちの生きる現代の環境はモノ・人工物で溢れています。
人間が生み出した人工物の総量が約1兆1,000億トンに達し、地球上の生物の量を上回ったとみられるという研究結果が、このほど発表された。このままのペースでは、20年後には人工物量が生物量の3倍近くに達するとみられる。いったいなぜ、こんなことになったのか。鍵を握るのは建築資材だ。
人間がつくった「人工物」の総量は、こうして地球上の生物量を上回った より
(この記事のアイキャッチはシンガポールのHarberfrontにあるコンドミニアムですね。ユニークな建築で、人工物の象徴といった感じで使われているのが面白い)
前回のモジュールが終わった時、Deep care challengeとして、「自分の出したゴミをレコーディングする」といった取り組みを行いました。予想通りの結果なのですが、ほとんどのゴミが包装資材(人工物)でした。
デリバリーのビニール袋・容器、お菓子の包み紙・外食時に出た使い捨ておしぼり。ゴミを減らす方法として、エコバックやタンブラーを持ち歩くのはインパクトの大きい行動だと再認識しました。普段あまり出来ていないのですが…。
そして今回のゲストは、アイヌ語研究者の中川裕さん。ゴールデンカムイのアイヌ語や文化の監修もされている方です。こちらの著書を読んで、もう一度ゴールデンカムイを読み返したくなりました。
アイヌには、自然や動物だけでなく家などの人工物にもカムイが宿っているという思想があります。そのカムイというのは、神様が宿っているというようなイメージでいたのですが、中川先生は一番適切な和訳は「環境」だとおっしゃっていました。木も火も川も動物も家も道具も、すべて私たちの生活に関わる「環境」だと解釈すると、しっくり来るような気がします。
そしてアイヌ語では、ゴミや草のことをムンと言うそうで、これはアイヌがお客様を家に招く際に、家の中に入ってきた草を掃除する、つまりゴミ=草というところから来ているそうです。昔の生活はそれほどまでにゴミが無かったのだと想像させられます。
もう一つの文脈で印象に残ったのは、動物を食べるということ。
アイヌは狩猟民族で、狩りをして得た肉や毛皮はカムイの世界からの贈り物で、人間はそのお返しとしてカムイの世界では手に入らない、酒や米を代わりに与える風習があります。
対して、分業化が進み、スーパーでパックの肉を買う我々は、生き物をいただいてるという想像がしづらいですよね。
https://johorkaki.blogspot.com/2020/09/best-hainanese-boneless-chicken-rice.html より
こちら、毎週通っているチキンライスのお店です。シンガポールに来たばかりの頃、こんな風に売られているチキンライスのチキンに衝撃を受けたものですが、生きていた鳥をいただいているんだという実感が持てます。
何かのモノ・人工物を自分の環境に取り入れること。生き物をいただくことに感謝し「いただきます」と言うこと。この意識を持つこと・想像し知ることは、わたしたち全体の心地よい生き方、先を見据えた後の世代を考える行動につながるのだと思いました。
ちょっと違う文脈ですが、最近友達に教えてもらって面白いと思ったページ。画像やフォントの読み込みを抑えて、通信電力を抑え二酸化炭素の排出量を削減できるのだそう。
少し前の私だったら、こんな些細なことで地球温暖化なんて止められるの?と思うかもしれません。この3回のモジュールを通して、そのようなもやもや が少しずつ晴れているのを感じます。自然や他者に対して思慮深くなることは、わたしたちのウェルビーイングを考える上で、非常に大切ですね。
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