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教育と工学、水と油のような感じもするけれど

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 皆さんも、「教育工学」という学問分野、研究分野について、耳にしたことがあるのではないだろうか?

 「教育」と「工学」という、一見すると水と油のような言葉のつながりに違和感を持つ方もいるかもしれない。

 上の図は、日本教育工学学会の会員数の推移であり、既に3000人を超える研究者が参加する規模の組織になっており、学問分野として定着としていると言えるだろう。独立行政法人日本学術振興会の科学研究助費成事業(いわゆる科研費)の配分先の学問分野としても、「教育工学」は存在しており、2019年度には、350件あまりの研究が採択され、研究資金として5億円ほどの金額が配分されているようだ。もはや、マイナーな研究分野、テクノロジー分野ということではない。

 さて、そもそも「教育工学」の内容は、どのようなものなのだろうか。

 教育工学は、その名称から分かるように、教育を工学的に研究する、工学的に改良する学問として出発した。つまり、製造業等で培われた、製造プロセスを効率的に構築、改良する知見を、教育に応用して、効率的な教育法を見いだそうということが、当初の動機となっていたようだ。しかし、マニュアル教育を招くと言った批判を浴びて、その方向性を大きく変化させた。

 現在は、教育、より具体的には、「授業」という分析対象において、ICT技術も用いつつ、認知科学の成果を踏まえて、オリジナルの授業方法を開発し、その効果をフィールで実証的に把握し、より効果的な授業方法を見いだしていこうという学問分野、研究分野に変遷してきている。

<参考>教育工学の定義

コトバンク「教育工学」https://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%B7%A5%E5%AD%A6-52389

「教育工学って何?」
https://www2.gsis.kumamoto-u.ac.jp/tgu/edu/define.html

 

 また、隣接研究分野として、「学習科学」という分野もある。
 東京大学 高大接続研究開発センターの高大接続連携部門 CoREFユニットでは、次のように説明している。

学習科学は、認知科学を背景に、人が賢くなる仕組みを見つけ,その仕組みを使って人がほんとうに賢くなれるかどうかを確かめながら、科学的理解に基づいた質の高い実践を目指す科学です。「人はいかに学ぶか」についての理論を作り、その理論がどこまでほんとうか、理論をもとに実践してみて、その結果から理論を少しずつよりしっかりしたものにして次の実践につなぎます。例えば私たちは、人と一緒に問題を解くとひとりでは気づきそうになかったアイディアを急に思いついたりすることがありますが、その過程を詳しく検討してみるとそこにはちゃんとした仕組みが働いていることがわかります。学習科学はこういう一見些細な過程も丁寧に検討し、そこから見つかる「賢さの仕組み」をうまく使って質の高い学習を導き出して行きます。

 学習科学は学校教育だけでなく、家庭や職場で起きる学びも研究の対象にしています。これまでよりもずっと詳しく、ずっと長いスパンで学習を研究し、「人が一生をかけてどこまで賢くなれるか」について理論を作ることを目指しています。

出典: https://coref.u-tokyo.ac.jp/archives/5674


 このような学問的営為は、「学び」「授業」という行動、実践の効果的な運用方法を探求するものであり、「遊び」を軸におく保育所保育の実践に直ちに応用可能とは言えないかもしれない。

 というのも、「遊び」とは、自発性を核に置く人間の行動であり、外部から目標や目的を与えられるものではなく、遊ぶことそれ自体が目的、その価値の本質とされている。一方、学習、特に授業は、それ自体が生徒自身にとっての目的、価値である場合もあるであろうが、本質的には、一定の学識、技能を習得すること、教育工学的には「効果的な授業方法」、学習科学的には「どこまで賢くなれるか」が目標になっているからだ。

 このように、保育と授業には、かなり本質的な違いはあるが、ともに人の成長を促すことを究極の目標としている以上、教育工学や学習科学(特に、「人はいかに学ぶのか」についての理論や、「賢さの仕組み」についての知見)を、専門職としての保育士が学ばない手はないであろう。子ども達の発達過程への関わりや、環境構成について、「デザインする」という、教育工学や学習科学の姿勢は、取り入れ行くことが出来るはずだ。

 また、子どもとの関わりへの直接的な応用については、少し距離感を感じるとしても、保育士の「学び」には当然適用可能なことは、理解いただけるはずだ。

 近時では、厚生労働省の『保育所における自己評価ガイドライン ハンドブック』において、対話的、協調的な「学び」の意義について以下のように記述されている。

「保育士等が子どもの姿を中心に保育について話し合うことにより、互いに様々な視点や気づきが得られます。毎日の忙しい業務のなかで、こうした話し合いを短時間でも日常的に作り出すことを意識して、子どもの理解と保育の振り返るにつながる対話の機会をつくります。」
( https://www.mhlw.go.jp/content/000609917.pdf 、PDFの8ページ)

 このような協調的学習について、先に紹介した学習科学の研究機関であるCoREFユニットでは、「知識構成型ジグソー法」という、話し合いを通じて理解を「深め合う」という学習方法(授業デザインのフレームワーク)を「開発し、その展開を進めているそうだ。
( https://coref.u-tokyo.ac.jp/archives/5515 )

 さらに、このような学習を志す複数の人間の活動をコンピュータによって支援する方法を研究する分野として「CSCL(computer supported collaborative learning): コンピュータによって支援された協調学習」という分野も存在している。

 従来は、CAI(computer-assisted instruction または computer-aided instruction)が提唱されたが、このCAIでは、学習する個人の知識の蓄積を目標に、この個人の学習プロセス(主に知識の伝搬)をコンピュータで支援するという発想であった。しかし、現実には、デジタル教材の横溢に相当な「飽き」が生じていると言えるだろう。

 その反省を踏まえ、CSCLでは、次のような概念の転換をもたらしたとされている。

・学習者を「同じ知識で満たされる人」から「協調できる複数の人たち」へ
・教師を「知識の源」から「共同体内の先進知的リソースへのガイド」へ
・学習活動を「知識の蓄積」から「道具を活用した知性の発揮・共同体への
 参加」へ
・学習目的を「有能な個人の育成」から「分散しつつ協調したときに知性の
 発揮できる個人の育成」へ
といった教授・学習観の変化をもたらした。この変化は協調学習を重視する教育実践や教育コンテンツの提案を活性化し、「学習者共同体」の概念を生み出した。
出典: https://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/archives/beat/seminar/012.html

 このような「学習共同体」の学習活動をサポートするITとして、協調活動向けのツール、議論支援ツール、自己評価ツール等の提案がなされている状況である。こういったツールと、子どもや保育士の活動に関するデータが蓄積されている保育業務支援システムと連動することによって、保育士の協調的学習をサポートする機能を生み出すことができるだろう。

 いずれにせよ、冒頭で見たように、教育工学を研究する研究者は大きく増加しており、科研費でも相応のリソースが割かれている。直接的な応用ができないとしても、社会的にヒト、カネが投入されている隣接分野の研究成果に着目しない手はないだろう。