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年賀状の思い出

あけましておめでとうございます

長年にわたって作ってきた年賀状を、なぜか今年は作りませんでした
年始の挨拶に代えて、こんな自分語りを書いてみましたので、もしよろしければお読みください

私にとって年賀状作りは昔から趣味みたいなものでした

小学生の頃はクラスメイトら数十人分、相手に合わせて一人ひとり内容がかぶらないように、完全手書きの年賀状を作って送っていました
自分に送られてくる年賀状というのは当然、ひとりひとり全部違っているわけですが、自分が送るものは別に全部変える必要はないわけです
当時の私はその辺をよく分かっていなかったかもしれません

ともあれ「その年の干支」というテーマでどこまでアイデアを出せるか、相手のキャラと関係性を考えながら知恵をしぼる年賀状作りを毎年しておりました
こういう作業がもともと好きなんでしょうね

で、高校大学くらいは年賀状を書いていた記憶があまりなくて、再び作り出したのは就職後です

さらに長女が生まれて最初の年賀状となる2003年からは「こども」というメインテーマでどれだけ楽しげな紙面をデザインできるか、というのが年に一度の個人的なミッションになっていました

生まれたばかりのこどもの写真と干支の動物の写真を並べただけの年もあれば、写真を切り抜いて合成してこどもと動物がたわむれるイラストに仕立てた年もあり
自己満足ですが、「こども」+「干支」+「年賀」という三題噺みたいな年賀状を、ひとつひとつが「作品」という気持ちで作ってきました

気づけば20年経っていて、こどもたちも大きくなり「イラストのネタ」にするのが段々と難しくなってきていたというのはありましたが、今年はなんとなく気持ちがのらず、なんとなく作らないで年が明けてしまいました

今、ふと思うと、このことは家族の形が変わってきたことを象徴しているのかなという気がします
まだまだこどもたちは「こども」であるのですが、確実に、着実に、親離れする「おとな」になってきました

家族がひとかたまりになって居心地の良い巣を形成する、本当に本当に温かくて幸せな空間と時間は、決していつまでも続かない、続いてはいけない

そしていつかまた、自分もひとりの人としていかに生きていくかが問わるようになる、そんな時期がもう始まっている、そんなライフステージの変化が、長年続けた年賀状作りが終わるという形で顕在化したと解釈できるようにも思います

まあ、今年はただ単に疲れていただけで、また来年も同じような年賀状を作っているかもしれないし、何か「新シリーズ」が始まるのかもしれない

いずれにせよ私はどうにか生きています
これからもどうか皆さまよろしくお付き合いください
こんな気持ちが2024年1月1日の私の現在地です

能登半島地震のニュースが続くテレビの前にて
やすだ

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