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にんげんって単純だね。

意味があるとか、役に立つとか、そんなこと特別ないけれど、ある日のわたしの寝れなかった原因のはなし。

ここ数日、大学も卒業してお祝いされて、飲み会や集まりに参加していた3月とは打って変わって、4月に入ってから、廃人だった。
なんとなくのこれからの野望はあるものの、ニートだしお金ないし予定もないし、時間を持て余していた。

でも、それがわるいことだとは思ってない。そして、廃人になったときの対処法をわたしは知っている。

飽きるまで、廃人でいること。

YouTubeを見ることも永遠と寝ることも、その繰り返しも。ずっと続けていたらそのうち飽きる。飽きて何かしたくなる。誰かに何かを届けたくなる。
だから、自分が飽きるまで廃人になっていた。


そろそろ飽きてきたなあと思っていた頃、お出かけのお誘いがあった。

その日は、朝から唐揚げを食べ、昼から大雨に降られながら5時間釣りをし、大切な人からの愛を感じ、釣った魚を調理して食べた。

その夜は、なぜだか全然眠たくなかった。前日は5時間ぐらいしか寝てないし、日中全力で遊んだのに。なぜか、眠りにつくのがもったいないと思ったんだ。

それまでの廃人だった生活では、時間があるごとにYouTubeを開き漫画を読み漁りこれでもかっていうぐらい寝てたのに。なぜか、携帯を触ろうとかYouTube見ようってならなかった。

心がいっぱいだったんだ。
わたしはあのとき、満たされていたんだ。
ほかにはなにも、わたしの中に入る余地なんかなかったんだ。
廃人だった日々も自由に生きているけれど、そこにはないものがあった。

・お腹がいっぱいであること
・誰かと何かを共有していること
・愛を受け取ること(または届けること)

明白だった。
お腹がいっぱいで、愛を感じて、人とのつながりを感じている。
それだけだ。

ああ、なんて単純なんだろうって思いながら、でも単純でよかったとも思いながら、これが本質なんじゃないかとも思いながら、次の日は寝不足のままバイトへ行った。

そんな日もあるよね。



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