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ドラゴンボールの新作で悟空たちが小さくなるのは必然

先日、世界最大級のポップカルチャーの祭典「ニューヨーク・コミコン」にて、原作連載40周年を記念したドラゴンボールの新作アニメシリーズ「ドラゴンボールDAIMA(ダイマ)」が2024年秋に放送されることが発表された。

本作の一番の特徴は、悟空たちメインキャラクターが全員小さく(子ども化?)なること。
ティザー映像で如意棒を構えた悟空の姿は、少年悟空(アニメで言うところの無印)を彷彿とさせ、オールドファンは懐かしさを覚えたに違いない。

ところで今回、新作を作る上でなぜ悟空たちを小さくしたのか?
その理由を考えたら、悟空たちが小さくなるのは必然であることが分かった。


ドラゴンボールの物語構造

ドラゴンボールの物語構造を考えた時、特にアニメシリーズの「ドラゴンボールZ」(1989-1996)以降、悟空たちが如何に強敵と出会い、それを倒していくかが物語の主眼となっている。
しかしそれは「フリーザ編」で見たように戦闘力のインフレを加速させ、数値でのインパクトには限界があることが分かる。
また、「魔人ブウ編」では敵味方とも合体や変身を繰り返し、そのパターンがある程度出尽くした感もある。
続編となる「ドラゴンボール超」(2015-2022)でも、基本的に「超サイヤ人ゴッド」「超サイヤ人ブルー」「身勝手の極意」といった「Z」を踏襲する形での「強さ」の進化・深化が進み、対峙する敵を含め、これもそろそろ限界を迎えている。

悟空を「最強」としながら、如何に悟空を苦戦させるかを考えた時、さらなる強敵・強さを明確に伝える変身以外では、一旦、悟空にハンデを背負ってもらうのが妥当である。
原作でも、ピッコロ大魔王編の身体的ダメージに始まり、心臓病・死亡状態など回を追う毎に悟空のハンデは増え、その登場は遅れがちで活躍は限定的になっていった。
その最たるものが「ドラゴンボールGT」(1996-1997)での少年化である。この時も、「強くなりすぎて成長を描くことが難しい」として悟空に制限を設け(最初は超サイヤ人にもなれない)、物語に幅を持たせている。

また「超」では「ドラゴンボールZ」の総ざらいをしてしまった感があり、続編を考える上では、「ドラゴンボール(無印)」(1986-1989)の頃のテイストに戻し、「摩訶不思議アドベンチャー」を繰り広げる方が冒険の幅も膨らむだろうというのも、「GT」と同じ思想である。

原作者自身の嗜好

原作者・鳥山明は、「ドラゴンボール」の爆発的ヒットによって、少年バトル漫画の作家として認知されているが、「ドラゴンボール」以前・以後の作品を見ると、等身の低いキャラクターの作品が目立ち、むしろ「ドラゴンボール」が特殊である。
「ドラゴンボール」においても、近年原作者が描く悟空は、いずれの巨匠にも見られる描き慣れによる簡略化が進み、等身を抑え簡略化された絵柄であることが多い。

鳥山明の根っこには、パロディとギャグ化という「漫画」が本来持つ面白さがあり、これを表現するためには、シリアスなリアル等身は不向きである。
このような作家性・嗜好からも、長大なシリーズの中で悟空たちが再び小さくなるのは必然であると思われる。

「DAIMA」の懸念

「DAIMA」は原作者に言わせると、「大魔」「Evil」であるそうで、このタイトルから「魔界」や「魔族」が絡んだ、これまた鳥山明の好きな「COWA!」(1997)「SAND LAND」(2000)に見られるような世界観が反映されていると予想される。

「無印」のテイストに悪魔の世界が加わると、それはまさに「摩訶不思議アドベンチャー」であるが、懸念もある。

1996年、前述の通り「Z」の終了後に始まった「GT」も悟空を少年にし、初期のロードムービースタイルを取ったが、正直「Z」が終わったばかりということもあり、当初物足りない内容であった。
また、同年公開の「ドラゴンボール 最強への道」も初期のドラゴンボールのリメイクということもあり、興行収入は、それまでの最盛期の半分以下になってしまっている。

原作初期の冒険ファンタジーもとても魅力的で、私などは「ドラゴンボール」全体から見れば好きな方なのだが、「Z」以降の印象が強い作品でもあるため、「DAIMA」が面白みに欠ける作品と評価されてしまう可能性も懸念される。
そこは「GT」とは異なり、今回は原作者が積極的に絡んでいるので、是非、鳥山明テイストで魅力ある面白いシリーズにして欲しいものである。

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