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「赤穂事件」の発端、刃傷事件の原因を想う

十二月十四日

「時に元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓…」
三波春夫「元禄名槍譜俵星玄蕃」の名調子が思い出される今日は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした日である。
もっとも旧暦での12月14日は新暦では1月30日にあたり、まだ先なのだが。

今でこそ、この時期に地上波で忠臣蔵の関連作品を見ることは少なくなったが、昔は必ずと言っていいほどこの時期に放送され、私も小学生の頃には大筋を把握するほどにはなっていたと記憶する。

「忠臣蔵」のイメージ

古典的な「忠臣蔵」の映像作品では、吉良上野介が賄賂を貪る悪人、これを斬りつけた浅野内匠頭は、清廉潔白で賄賂を良しとしない善人として描かれることが多い。

また、賄賂のほかに刃傷に至る経緯としてよく描かれるのは、勅使饗応役の指南の際に、増上寺の畳替えを前日に伝える、当日、勅使を迎える際の礼服を烏帽子大紋のところ長裃と伝えて恥をかかせようとするなどだ。

これら嫌がらせは優秀な赤穂の家臣によって難を逃れるのだが、物語序盤で浅野内匠頭に対し「自身の役目に疎く家臣に助られる若き殿様」のイメージを与えられる。
吉良上野介は悪役俳優が、浅野内匠頭は若手の美形俳優が務めることも多く、なおさらそのイメージが強くなる。

子供の頃は無邪気に老獪な宿敵を討つ展開に心躍ったものだが、年齢を重ねるうちに、事件の発端、浅野内匠頭の行動に疑問を抱くようになった。
嫌がらせを受けたにせよ、なぜ300人ほどの藩士を持つ藩主が殿中での抜刀は死罪と分かりながら愚挙に出たのか。
少し調べてみたら、身につまされる思いがした。
今日はそんなお話。

実際の浅野内匠頭

家老・大石内蔵助より年下で、若い殿様のイメージを持っていた浅野内匠頭。
しかし、刃傷事件を起こし切腹した際の年齢は数えで35歳。江戸時代の平均寿命は32歳~44歳との研究もあり、けっして若いとは言えない。
9歳で家督を継ぎ、15歳で朝鮮通信使饗応役、17歳で一度目の勅使饗応役、25歳で火消大名など歴任している。
ちなみに一度目の勅使饗応役の指南役も吉良であったが、この時は無事に役目を果たしている。

30歳も過ぎれば、現代でも「中堅」扱いをされるが、今より人生が短い江戸時代ではなおさらだろう。
経歴を見るに饗応役の作法がまるで分らないとも思えないし、「賄賂」についても潔癖でありたいと思うような歳でもない。「賄賂」と言えば聞こえは悪いが勅使饗応役の「指南料」と考えれば、必要なものと割り切れる年齢に思える。

刃傷事件の原因は「遺恨」とも「乱心」とも言われ、未だに原因不明だが、単純に「がめつい老人の若者いびり」ではなさそうだ。

ぼんやりと見えてくる刃傷事件の動機

「この間の遺恨覚えたるか」と言って斬りつけたとされる刃傷事件。
事件後の聴取でも浅野は「私的な遺恨」があったと述べた。
これに対して、吉良は「恨みを買う覚えはない」と述べている。

「遺恨」の原因は定かではないが、様々な説から見えるのは、吉良と浅野の間で何等かの対立・トラブルがあり、吉良の不興を買ったことで、吉良にひどく悪口を言われた浅野が腹に据えかねて手が出てしまった、という大筋だ。

これは現代で言うところのパワハラではないか。
悪口を垂れた目上の者は全く悪気が無く、下の者がストレスを溜めるというのは、今も良くある構図だ。

浅野も若いなりに様々な役目を経験し、仕事の進め方を心得ていたはずだ。事実、上京し不在だった吉良に代わり、事件の前月は二度目の勅使饗応役を自身だけで準備している。吉良にいちいち指図されずとも仕事が進められるという自負が、「指南料」という名の「賄賂」を軽んじる結果になったかもしれない。しかしこれでは吉良の方は面白くない。江戸にもどった吉良は難癖をつけて浅野の面子を潰した可能性もある。

さらに浅野は「痞(つかえ)」を患っていたという記録もある。「痞」は胃の病気とも偏頭痛とも言われるが、いずれにしろ天皇の使者を迎える重要な儀式へのストレスが災いしただろうことは想像に難くない。

重要な儀式へのプレッシャー、仕事を進めようとすると阻まれるストレス、人前での叱責、悪口、持病の疼き、そして折からの天候不順さえも浅野を追い詰めたのではあるまいか。

刃傷沙汰やその後の即日切腹などは現代の感覚ではありえないが、大きな仕事をクセのある上司とやらなければならない時のプレッシャーやストレスには身につまされるものがある。

現代にも通じる教訓

現代社会でも、真面目な人間ほど心身を患ったり、不本意ながら退職することはよくある。日本社会では特に、真面目であることが良いことと思われがちだが、その思い込みによって自らを追い詰め、自分が損をするような選択をするのは勿体ないことだ。

「忠臣蔵」は赤穂事件から320年余り経つ今でも愛されている。
それは、一方では赤穂浪士の義や儚さに心打たれるからだろうが、一方では物語の根底に流れる身に詰まされるような共感があるからではないだろうか。

浅野内匠頭はなぜ刃傷に及んだか―。
このことに思いを馳せる時、自身の社会生活にも通じる教訓が得られるのではないかと思う。

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