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インプットとアウトプットを巡る思案

背景

インプットとアウトプットの比率については様々な理論が展開されている。これを科学的に定量化することは難しいと思うが、多くの場合はアウトプットの比率を3:7(https://jhclub.jmam.co.jp/acv/magazine/content?content_id=12438)であったり、1:9(https://diamond.jp/articles/-/238099)にしたほうが良いというのが大勢を占める意見だと思う。

しかし、この「アウトプット」は本来はラーニングプロセスに当たるのではないだろうか。シングルループ学習ではなく、ダブルループ学習が良いという考え方がそれに該当するだろう(参考:https://www.question-circle.jp/2020/10/1138)が、必ずしもメンタルモデルを変えることが是であるかは、学びたいことの質や成長のステージにもよるだろう。ここでは結果から学び、行動に反映するというプロセスのことをダブルループ学習から学びたい。

また、一方向で考えるというのもナンセンスではないだろうか。すなわち、アウトプットの最中にインプットが必要になるのが普通だということだ。

アウトプットは多くの場合、「行動」のことを指すと思われるが、ただ行動すればいいというものではない。行動していても、そこからの学びのプロセスがなければ、インプットにはならない。

”わからない”から学ぶには

目の前で全く何もわからない状況に陥ったときに、本来であれば自分の認知の限界を理解していれば、先人から学べばよく、そこからTTP(徹底的にパクる)すればよいケースが大半であろう。特にビジネスにおける実践では、パクったからと言って剽窃の問題に直面することはほとんどない。

にもかかわらず、わからない状況下で、何かを自らひねり出そうとする人の以下に多いことかと感じる。これは冒頭に述べたインプットとアウトプットの問題に対して、逆説的な問題だと思う。つまり、インプットの伴わないアウトプットが質の低い行動につながり、さらには求めているレベルにない結果であったり、そもそも結果が出せないという事態に陥る可能性すらあるということだ。本当にアウトプット重視はいいことなのだろうか。

インプットに時間をかけすぎることはよろしくないと思う。多くの場合、限界逓減の曲線であり、学習効率のいい程度で学ぶのをやめ、アウトプットに移っていくほうが良いというのは直感的にも正しいと思う。それとは別に目的やゴールの設定や、自分をメタ認知して、目的やゴールに対しての不足を把握し、それに必要なインプットを知ることが出来るスマートさが極めて重要である。

アウトプットのメンタリティ

自分自身の若かりし頃に思っていたころだが、アウトプットにしゃかりきになるということは、「自分がアウトプットが出来る能力がある」ということを暗に信じていることでもあると思う。しかし、実際には「自分だけではどうにもならないから、いろいろな人や道具、先人の知恵を借りよう」という姿勢が極めて重要だと思う。

アウトプットするという行為は、学校で受けたテストのように、自分個人でテストを受けて、それを自力で黙々と解く解いた行為ではなく、何か社会や組織などの課題に対しての解決策を提示し、だれかの課題や問題を解決することであるはずである。誰も一人で解いてほしいなどとは言っていないのだ。厭味ったらしい言い方をすれば、個人で何とか頑張ろうとする人は「よっぽど自分に自信があるのだね」といった印象すらある。しかし、実際は自己評価が高いケースが多いことは言うまでもない。

なるべく早く、楽に、質のいい回答をするためにも、自分だけでどうにかしようと思わないことが重要なのだと思う。

今日の結論

これまた若かりし頃、それこそ就活をしていたころ、「コミュニケーション能力」という言葉が嫌いで、個の力こそが重要だと考えていた。今は逆にそれこそが重要だと感じる。

個の力で局面を打開する人は、間違いなくコミュニケーションやコラボレーションが上手な人といえるだろう。そして、コミュニケーションやコラボレーションを上手にこなすには、学業のテストのようなアウトプットではなく、チームでのアウトプットの経験を多くこなすことが重要であり、その中でいかに良質なインプットを積み上げるかということだろう。

アウトプットを継続できるだけの自信は必要だが、学ぶ際には謙虚な気持ちで、また良い意味で怠けて、あらゆるものに頼って限られた時間で学ぶ必要がある。現代人は時間がないとよく言うが、一方で時短するための道具はたくさん生まれ続けており、いかにそれを賢く使うかが重要だと思う。

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