今、僕らができる(と個人的に思う)こと

先ほど、ある方よりこんなメッセージをいただきました。(一部改変しています)

中川さんこんばんは!!
コロナの日本が出来る救済って、どう思いますか?その間保証するってそんなに難しいですか?
中川さんどう思いますか?

なぜ私にこの質問を?とは思いましたが、聞いていただいたからにはしっかりお答えしようとしたら、すごく長くなってしまいました。長い分だけ、今考えていることを書けたかなと思ったので、そのまま返信をnoteに転載しました。これが正しいという保証は何一つありませんし、浅い理解であることも確かなんですが、私が4月12日時点で考えていたこととして嘘はないです。

返信した内容(原文ママ)

私は、「出血しているところがあるなら応急処置すべきだ」という考え方なので、緊急の支援は必要だと思います。もともとベーシックインカムを導入した方が良いと考えていますので、一律の支援は早急に必要だと考えています。それが個人的な前提です。しかし、状況は複雑ですよね。

(日本については、支援策が不十分というよりも、支援策はあるけれども広報が不十分であるということに加え、そのせいもあり金融や行政の窓口が政府の意向に添えていない部分もあるのかなと考えています。)

今すぐ真水のお金を必要としている人がたくさんいます。このままでは、多くの方が仕事を無くすことになるだろうということは想像に難くありません。しかし同時に、事業主としての死と人間としての死を同列に考えるべきだろうかという疑問もあります。日本においては事業主としての終わりは人間としての終わりではないのではないでしょうか。その思い込みを正すことが、今こそ必要なのではないかとも思います。

高齢者や持病をのある人が不安な日々を過ごしています。私の周りでも多くの方が心配されています。すでに亡くなった方もたくさんいらっしゃいます。本当に今は医療が大切です。ただ、一旦ある程度の人がキャリアになるか、治療薬やワクチンができるまで終わらないのではないだろうかと思うこともあります。ただ、致死率を考えたときに、今までのインフルエンザなどの流行り病に比べ、それほど脅威なのだろうかという疑問には結論がでていません。これはある程度過ぎてからではなければ結論がだせないところだと思います。

また、諸外国がすべからく支援をしているかというとそうではなく、福祉が充実している北欧では特に目立った支援はされていませんし、特に外出に規制がかかっているわけでもありません。支援があるのが当たり前ではないということです。

また、財源はどこにあるのかという話もあります。東京は金持ちなので、支援を行うだけの財源があります。ただ、北九州市が黒字化と言うとそうではないと思います。国がすべきだという意見もありますが、そうなると政府(というか日銀)が日本銀行券を発行するだけです。政府がより借金を重ねるということですね。

(アメリカや中国とのバランスを考えて、円高になりすぎないように通貨発行量を増やすべきであるとは思います。が、円が安くなりすぎることに、それほどメリット無いとも思っています。今は輸出中心の経済かもしれませんが、この後は農作物やエネルギーなどの確保が重要な局面になるため円が強い方が良いとも思います。)

そこで歴史を見てみてほしいのですが、借金を重ねた政府がどうなるかということなんです。日本だけでも、鎌倉幕府、江戸幕府、見ていただけると同様なんですが、政府が借金を重ねて徳政令のような形になると、政府がお金を借りることができなくなるターンが訪れます。それは政府の力を落とすことにつながりますし、そのあと訪れるのは圧倒的不況、そして戦争です。過去の世界大戦も(もちろん状況に違いはありますが)借金を清算するために始まった戦争だという面もあります。今も各国の政府が借金を重ねているということは戦争のリスクが高まっているということでもあると思います。

病気で今すぐ重症化する人(そこまで多くはない)
事業が行き詰まる人(少し増える)
未来、戦争が始まって被害にあう人(めっちゃ多い)

どこにフォーカスするかという話でもあると思うのです。私は目の前の人をまず助けるべきであると考えていますので、今守られるべきは医療だと思います。医療の部分に国のリソースを優先的に回すべきですので、私たちのような個人事業主の救済が後になるのは致し方ないかなと思うのが実際のところです。医療に負担をかけないように、マスクを買い占めず、自分が医療の負担にならないように、自分が他の病気も含めて罹らないというのが重要かと。そのために他者との接触を8割減らすというのは理にかなっていると考えています。

とにかく、今は、個人が生き残ること。それが最優先なのではないでしょうか。私は今は災害時のど真ん中にいると考えています。地震や洪水に襲われている最中と同じです。様々な意味で生き残ることが最優先です。誰もがこの病にかかる可能性があります。かかったとしても、それが治療薬やワクチンができてからであれば生き残る確率がぐっと高まります。だからそのタイミングを少しでも遅らせる必要があります。それを選択するのは個人の権限であり、その部分においては国の施策がどうこうという話ではなく、あくまで災害における「自助」だと考えます。その次にくるのは「共助」、ともに助け合うということです。国が手を差し伸べるのは「公助」のターンですので、やはり災害が終わった後なのではないでしょうか。

始めに書いたように、国が助けるのが筋ではあります。しかし、今この、災害の規模もわからない瞬間に、国がどの程度の支援をするということを決めるのも難しい話かと思います。例えば、今10万円配られて、それで国が責任を果たしたと思われてしまっては、逆に国民が受け取れるお金が少なくなる可能性さえあるのです。まずは個人や事業主で資金を借りてくれというのは、悪くないと考えています。その情報を届けていくのは政府だけではなく、マスメディアの役目でもあるとは思います。

もう一つだけ付け加えるとするならば、生き残ったあとの世界を想像するのは、自治体や政府の役目ではないんだろうなということです。おそらくですが、それは僕らが考える公的機関の役目ではなく、もっと大きな意味での「公」の役割だと思うのです。それは僕らの集合体です。僕らがこの状況を乗り越えたあと、どうなるべきか、どうするべきかということを、皆で考えて発信すべきなんです。(考えたけど、全然わからないですけど。)少なくともコミュニティという考え方は、もっと幅広いものになっていくと思います。今、穴倉にこもりながらも、インターネットを通じてこのように繋がっていくことができます。ソーシャルディスタンスという言葉もありますが、ソーシャルに距離を作ってはダメなんです。僕らは、社会は密接に、しかし現実的な距離としては離れるということを現実化することができます。その形を、これからどう作っていくのかということに他ならないと考えています。

繰り返しになりますが、当面は、自分の身を守ること。「自助」が重要だと考えています。

長くなってしまいましたが、個人的にはこんなふうに思っています。考えをまとめる機会をいただき、本当にありがとうございました!

「公」という僕らの集合体が、未来に向けて発信するべき

と、お答えしました。たった3行くらいのメッセージに2500字オーバーで返すのは正気の沙汰じゃないなと、我ながら思います・・・。僕がこんなん貰ったら複雑な気持ちやわ・・・。

とはいえ、読み返してみても「公」という僕らの集合体が未来に向けて発信するべきというのは、本当にそうだなと思うのです。そういう意味では前半は蛇足かもしれません。でも書かないと後半がわかりづらいと思うんですよね。

書ききったので、とりあえず、一旦、深呼吸します。どこまでいっても僕らは個人の免疫を高めるのが第一だと思います。深呼吸して、早めに寝るしかないですね。STAY SAFEっす。


流行りに乗っかって、濱田さんのテンプレートで仕上げた桜画像を載せておきます。この後の世界を考えて発信するのが、クリエイターの仕事だと思うのです。僕も何かその一助になれれば。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?